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F1 ニュース

投稿日: 2020.04.14 20:38
更新日: 2020.04.27 10:50

『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』連動企画01/グランプリとカート少年の憂鬱

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F1 | 『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』連動企画01/グランプリとカート少年の憂鬱

 数多くのチャンピオンマシンを生み出したレーシングカーデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの著書が4月28日(火)に発売となる。日本語版の発売を記念した連動企画として本書「ON THE GRID」CHAPTER 03 より、ニューウェイ少年が初めて観戦したF1グランプリの記憶とカートの改造に夢中だった学生時代のエピソードを抜粋して、紹介する。

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 父は車を愛していたが、モータースポーツには特に関心を持っていなかった。だが、私のそれへの情熱は子供時代を通じて高まる一方だった。まだ少年だった私は、父に頼み込んで何度かレースに連れて行ってもらった。

 シルバーストンでの1973年イギリス・グランプリは、私にとって二度目のレースだった。ポールシッターはジャッキー・スチュワート(※実際にはロニー・ピーターソンがポールポジション)で、若き日の私はハンバーガーを食べることを許された。当時スチュワートがポールポジションを獲るのはよくあることだったが、私がハンバーガーを手にすることは滅多になかった。

 父の数多い些細な欠点のひとつとして、彼はジャンクフードの類を毛嫌いしていた。そして、そういったことに関して彼はいつも極端すぎる態度を取った。医者に塩分を取るといいと勧められると、夏の暑い日に体内の塩分レベルを維持しようとして、塩水を飲んだ。その医師が翻意して、やはり塩分はあまり取らない方がいいと言うと、今度は一切の塩分を絶ち、えんどう豆を茹でる時にも湯に塩を入れようとしないほどだった。

 だが、その日の午後、父はジャンクフード禁止のルールを緩和して、ウッドコートのグランドスタンドの下にあった売店でハンバーガーを買ってくれた。理由はわからないが、パドックを見て歩けなかったことへの埋め合わせのつもりだったのかもしれない。当時のウッドコートは、スタート/フィニッシュラインへと続く、超高速の最終コーナーだった。

F1最重要デザイナーの著書『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』完訳の日本版が登場
エイドリアン・ニューウェイ氏の著作『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』

 レースが始まった時、私たちはすでに席についていた。私はジャッキー・スチュワートが集団を100ヤード(91m)ほども引き離して、1周目の最後のコーナーを駆け抜ける様子を夢中になって見ていた(※予選4番手から好スタートを決め、べケッツ・コーナーでピーターソンを抜いてトップに立った)。

 次の瞬間、あっと思う間もなく、二つの出来事が起きた。ひとつは、マクラーレンに抜擢されたばかりの若き南アフリカ人、ジョディ・シェクターが高速のウッドコートでマシンのコントロールを失い、多くのドライバーを巻き込む多重クラッシュの原因を作ったことだ。これはF1史上でも最も大きなアクシデントのひとつで、まさに私の目の前で発生した。

 もうひとつは、それを見て驚いた私がハンバーガーを落としてしまったことだ。

 その事故が起きた瞬間、グランドスタンドの観客全員が立ち上がり、多くのマシンがコースから四方八方へ飛び出して、誰かのエアボックスが空中に高く舞い上がり、埃と煙でサーキットの一部が見えなくなったことが、今も私の記憶に残っている。とてもエキサイティングであると同時に、ショックでもあった。誰かが怪我をしたり、あるいはもっとひどいことになってはいないかと思ったからだ。実際その場の状況を見れば、とても全員が無事とは思えなかった。

 マシンの残骸から、ドライバーたちが這い出してくるのを見て、ほっとしたのを憶えている(ドライバーの怪我は、最も重いもので脚の骨折に留まった)。興奮が収まった時、誰の目にも明らかなのは、マーシャルがコースを片づけるまでに、かなりの時間がかかることだった。その間に私がやるべきことは、ひとつしかない。グランドスタンド最下段の下へと潜り込み、落としたハンバーガーを回収して、残りを平らげたのである。


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