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投稿日: 2020.06.14 15:03
更新日: 2020.06.14 15:04

F1名ドライバー列伝(6)アラン・プロスト:“プロフェッサー”の知性的な走りを支えた、とてつもない速さ


F1 | F1名ドライバー列伝(6)アラン・プロスト:“プロフェッサー”の知性的な走りを支えた、とてつもない速さ

 2020年はF1世界選手権にとって70周年にあたる。その歴史のなかで、33人のワールドチャンピオン、108人のグランプリウイナーが誕生、数々の偉大なるドライバーたちが興奮と感動をもたらしてきた。この企画では、英国ジャーナリストのChris Medlandが何人かの名ドライバーを紹介、彼らが強い印象を刻んだ瞬間を振り返る。

 今回紹介するのは、4度のF1チャンピオン、アラン・プロスト。1980年から1993年に、マクラーレン、ルノー、フェラーリ、ウイリアムズでF1に参戦、1985年、1986年、1989年、1993年にタイトルを獲得した。優勝は51回(歴代4位)、ポールポジションは33回(5位)、ファステストラップは41回(4位)、それぞれ達成している。

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 記録を見れば、アラン・プロストがF1史上最も大きな成功を収めたドライバーのひとりであることは明らかだ。タイトル獲得回数で、彼を上回っているのはミハエル・シューマッハー、ルイス・ハミルトン、ファン・マヌエル・ファンジオのみである。

 優勝回数で見ると、シューマッハー、ハミルトン、セバスチャン・ベッテルの次に位置し、ポールポジションでは、シューマッハー、ハミルトン、アイルトン・セナ、ベッテルに次ぐ5位、ファステストラップでは、シューマッハー、ハミルトン、キミ・ライコネンに続く4位と、主だった項目のすべてで上位にきている。

 プロストはしばしば“プロフェッサー”と呼ばれる。それは、賢さ、計算された走り、スムーズさによって多くの勝利をつかんだと一般的に評価されているからだ。しかし先ほど記した華々しい記録を見ると、プロストには知性的な走り以外にも大きな武器があったことは明らかだ。プロストが、“プロフェッサー”とは異なる面を示したレース、1987年日本GPを、今回振り返ってみたい。

 1985年、1986年と2年連続でチャンピオンとなったプロストだが、1987年のマクラーレンMP4/3・TAGポルシェには、ウイリアムズ・ホンダと戦えるだけのパフォーマンスがなかった。第15戦日本GPに臨むころには、プロストはすでにタイトル争いから脱落していた。

1987年のアラン・プロスト(マクラーレンMP4/3)
1987年のアラン・プロスト(マクラーレンMP4/3)

 この年のドライバーズタイトルはウイリアムズのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケが争っていた。しかしマンセルは日本GPのプラクティスでクラッシュを喫して負傷、レースを欠場することになり、その結果、ピケのタイトル獲得が決定。気が緩んだか、ピケは予選5番手にとどまり、チャンピオン、ウイリアムズが予選上位から脱落した。

 プロストは素晴らしい予選パフォーマンスを発揮、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが記録したポールポジションタイムから0.6秒差とはいえ、2番グリッドを確保した。

■好結果が望めない状況で、信じられないような速さを発揮


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