今回はソチから、尾張さんが現地の雰囲気をレポート。そろってF1キャリア100戦目を迎えたフォース・インディアのふたりは特製ケーキでお祝いしていたのですが。
○ ○ ○ ○ ○
パドックを歩いていると、チーム関係者ばかりでなく、多くのメディアに遭遇する。同業者としてライバルではあるものの、尊敬する人たちも少なくない。
CDを持って笑顔で撮影に応じてくれたのはインターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙の記者のブラッド・スパーシャンさんだ。このCDは本人がリリースしたデビューアルバム。スパーシャンさんは取材に出かけるときはコンピュータとともに、アコースティックギターも持参していく記者兼アーティストなのである。
「2008年に妻を亡くしたときに出会ったのがギターだった。僕にとってギターは単なる道具ではなく、妻と会話するための宝物。だから、どこへ行くにも一緒なんだ」というスパーシャンさんは、ただ持参するだけでなく、旅先でライブ活動も行うほどの筋金入り。昨年の日本GPでも木曜日には名古屋のライブハウスで演奏したという。
全10曲中、カバーが1曲で、あとはオリジナルだというアルバムのタイトルは「Out of a Jam」。Jamは音楽用語のジャムセッション(即興演奏)を意味するとともに「物事が行き詰まる」という意味も、かけているという。グランプリ翌日のインターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙にはスパーシャンさんの記事が必ず掲載されているので、機会があったら読んでみてください。深いです。
こちらはカナル・ラテン・アメリカ局でレポーターを務めるコロンビア人のディエゴ・メヒアさん。今回ロシアGPで彼が注目されたのは、ある質問をドライバーたちに全員に聞いて回っていたからだ。その質問とは「あなたにとってアイルトン・セナとは、どんな存在なのか、ひとことで表現してくだい」というもの。
今年のロシアGPの決勝日は、セナが亡くなった日と同じ、5月1日。「1994年以降、5月1日にF1のレースが開催されるのは今回が初めてだった」と彼が教えてくれた。
そんな彼の質問に、すべてのドライバーが快く応じていた。もちろんメヒアさんの人柄もあると思うが、あらためてセナの存在の大きさを感じた。あれから22年が経過した、いまのF1を天国のセナは、どんな思いで見ているのだろうか。
セナを尊敬してやまない、ルイス・ハミルトン。「ゴーイング・マイ・ウェイ」ぶりは相変わらず、木曜日には会見場をバックに自撮り。会見後もイタリアのガゼッタ紙の記者のペンダントに興味を示すなど、独自のスタイルを崩していなかったのだが、さすがにパワーユニットにトラブルが発生した直後の会見は、以下のとおり。まるで、お通夜のような落ち込みぶりだった。
それでも最後には「もっとひどい経験も、たくさんしている。こんなの、まだマシ。いいシーズンも悪いシーズンも経験して、僕はチャンピオンに3度輝いた。だから、4度目もあきらめない」と、不屈の精神を見せたハミルトン。セナの命日である5月1日に、チャンピオンらしい走りを見せてくれた。
ハミルトンとは対照的に予選で好調だったのは、ロシアGPでチームメイトのニコ・ヒュルケンベルグとともにF1参戦100戦目を迎えたセルジオ・ペレス。予選後にチームが開いたパーティでは、スタッフ全員のサインが入ったリヤウイングと「100」ケーキをプレゼントされて、ご機嫌だったペレスだが、この直後に悲劇が!!
なんとケーキの一部が、はがれ落ちてしまった……。よく見ると、それはフォース・インディアのロゴの部分。ペレスはヒュルケンベルグに助けを求めたが、ヒュルケンベルグは自分のケーキを切るのに精一杯で気づいてくれない。レースでは、スタート直後のアクシデントに巻き込まれてしまったふたり。思えば、このときに不吉な予感が漂っていた。