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投稿日: 2020.08.18 09:06

作家いしいしんじのモータースポーツ・コラム/インディの風


海外レース他 | 作家いしいしんじのモータースポーツ・コラム/インディの風

 雑誌『auto sport』にて連載中、作家いしいしんじ氏によるモータースポーツ・コラム。期間限定で毎週ひとつずつ掲載しています。

 ちょっと離れた場所から眺めるからこそ見えてくる、本質のようなもの。これまでにない読み心地の「モータースポーツ小咄」を、お楽しみください。今回は2017年に佐藤琢磨がインディ500を制覇した直後に書かれた一編です。

* * * * * *

 101年前から、まわりつづけている空気がある。
「レース」というひとまとまりの空気、爆風が、その日限定のジェット気流となって、オーバルコースに吹きわたる。

 インディアナポリスの風は「じゅんさい」に似ている。光り輝く空気のなかに、色とりどりのマシンを含んだまま、サーキットを200周、合計500マイル周回する。

 ドライバーたちは、風を切るのではない。風に乗る。風と一体化する。星雲のなかの星のように、「レース」のなかで、それぞれのマシンはゆっくりと動く。ほんとうは光速をこえているのだが。

 風に運ばれ、前に押し出される。じょじょに、じょじょに、まわりのマシンたちよりスピードをあげ、そうしていつの間にか、まわりつづけるジェット気流の突端で、この世でいちばんのサーファーさながら、光り輝く波に運ばれ、そうして一気に、白黒格子がはためくゴールに、風ごとなだれこむ。

 佐藤琢磨が勝ったんじゃない。と、そんなつぶやきが漏れる。風が、空気が、今日はそのように動いたのだ。そのようにしか、動かなかった。この地で風に身を捧げてきた、東洋生まれの、このドライバーのために。

 レース展開、というものはあった。当日よりずっと前、何カ月も先から、インディの風は吹きはじめていた。
 
 まさしく、「この世でいちばんのサーファー」が、ヨーロッパの地から飛行機でやってきて、太陽の色のマシンで、この巨大な渦のなかに加わる。

 フェルナンド・アロンソは、2017年の風のなかに、三十年前、五十年前の空気を混ぜこんだ。「レース」の空気は例年とは少しちがう色を帯び、真新しく、なつかしいうねりをもって動きだした。

 当日も、スタートから、星雲のなかの星々は、太陽を中心にまわりつづけた。そのうちに、太陽はコロナをたなびかせ、光速に乗って風の先頭にあらわれた。

 観客、世界じゅうのひとびと、同じレースを走るドライバーたちさえ、魅了され、まばたきする瞬間もおしんで、黄金色の彗星、アロンソのマシンを見つめつづけた。

 太陽が落ちたとき、一瞬だけ、空気がとまった。そんな風にみえた。が、嘘だ。風はとまってなどいない。あと20周、魔法がとけたかのようにレースが動きだした。アロンソという太陽が、風にエネルギーを吹きこんだのだ。

 チルトン、ジョーンズ、エリオ、琢磨。星はまわる。まわりつづける。ジェット気流の先端で、それぞれの星がそれぞれの風をはらんで、485マイル、490マイル。

 エリオが風を切る。そのため、ほんの少しレースの空気が揺れる。そのとき琢磨が、大きな風を感じた。風の動くとおりに、琢磨が動いた。ほんとうにそうなのか。琢磨自身が風をたぐりよせたのでは。

 全力で、全身で、足下のこの星をタイヤで蹴りつづけてきた、八年間、十五年間、二十年間の、すべての記憶をこめて。

 風は、琢磨のほうへ寄った。そうして、最後の最後まで、その先頭から琢磨を放そうとしなかった。琢磨はまっすぐな姿勢で、うしろからの風を受けとめ、風とひとつになって500マイルのゴールに飛びこんだ。

 101回目、かける、200周、500マイル。20200周目、50500マイルの、その先端。

 風とひとつになる。レースと一体に、レースそのものになる。琢磨はつまり、2017年のインディ500レースとなった。

 佐藤琢磨が勝ったのだ。琢磨という風が。琢磨という、レースそのものに。

auto sport No.1458/2017年6月23日号 掲載

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いしいしんじ/プロフィール
作家。1966年大阪生まれ、現在は京都在住。京都大学文学部仏文学科卒。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。『ぶらんこ乗り』『トリツカレ男』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『よはひ』『海と山のピアノ』『且坐喫茶』など著作多数。モータースポーツのほか、SP盤収集、蓄音機、茶道など趣味も幅広い。雑誌『オートスポーツ』で連載中のコラム『ピット・イン』の絵はクルマとレースを愛する小学生の息子ひとひ氏が手がけている。

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