1973年から1983年まで、本田技研工業の2代目の取締役社長を務めた河島喜好(かわしま きよし)さんが31日、肺炎のため亡くなった。享年85。
河島さんは1928年2月1日生まれ。1947年に現在のホンダの前身である本田技術研究所に入社し、草創期のエンジニアとして、ドリームE型に搭載されたホンダ初の4ストロークエンジンを設計。二輪車メーカーとしてのホンダの飛躍を支えた。また、1959年に初参戦した二輪マン島TTレースでは監督としてチームを牽引した。
1973年には、初代の本田宗一郎社長から社長職を引き継ぎ、集団指導体制による経営に移行。社長としてオイルショックに始まる激変の10年を舵取りし、82年には日本メーカーとして初の四輪車の米国現地生産を開始するなど、ホンダの売上高を5倍に拡大させた。
1983年には社長を退任し、取締役最高顧問に就任。79年にはベルギーでレオポルドII世勲章コマンドール章を、07年には旭日重光章を受章した。葬儀は故人の遺志により近親者で執り行われており、後日ホンダとして“お別れの会”を行う予定だという。