スーパーGT第8戦もてぎの開幕を控えた11月1日、2013年限りでスーパーGTを“勇退”すると発表した山野哲也が、決勝日に記者会見に臨み、今の心境と今後について語っている。

 山野は1992年からジムカーナの全日本チャンピオンを獲得、今季まで合計15回のチャンピオンを獲得。また、1999年からJGTC全日本GT選手権に参戦し、2004年にはホンダNSXで、05年にはトヨタMR-Sで、06年にはマツダRX-7でと、異なるマシンでGT300クラスの3年連続チャンピオンを獲得するという偉業を成し遂げた。

 そんな山野は、07年以降スバル車で一貫して参戦。車種が変わるごとに苦戦を強いられることも多かったが、そのたびに持ち前の開発能力でスバル車を“勝てる車”に育て上げてきた。今季も、昨年デビューイヤーで苦戦を強いられたSUBARU BRZ R&D SPORTを予選最速のマシンに育て上げ、年間5回のポール獲得という偉業に貢献した。

 しかし、そんな中もてぎで発表された山野の“勇退”。記者会見に辰己英治STI総監督とともに姿をみせた山野は、「山野哲也はこのもてぎ戦をシリーズ戦の最後として、スバルのファーストシートのドライバーとしての最後の大会にするということを決断しました」と口を開いた。

●鈴鹿でのコースレコードが“きっかけ”
 山野はこの会見の中で、スーパーGTでの活動を自身の中で“前期”と“後期”に分けることができると語る。前期は、3連覇を含めた2006年までの時期であり、「スバルがどん底だった時期がありまして、このスバルにどうしても勝たせたい。もしスバルを勝たせることができれば、自分自身が本物のドライバーになれると信じて」07年にクスコDUNLOPスバルインプレッサをドライブしてからの、スバルドライバーとしての自分が“後期”だという。

「2007年から今年までの7年間、ずっとスバルに乗り続けて、この期間の中でインプレッサ、レガシィB4、そして今年走っているBRZの3車種で結果的にすべて優勝して、5勝を挙げることができました。本当にチームにもがんばってもらったし、スバルさん、STIさんにもがんばってもらって、ここまでスバルが活躍できる土壌を作れたのをすごく誇りに思っています」と山野は振り返る。

「昨年はこのまま終わるわけにはいかないと常に思っていたのですが、今年はBRZの進化がすごく良くて、5回もポールポジションを取ることができましたし、鈴鹿で優勝することもできました。鈴鹿では自分自身でコースレコードを更新することもできて、これがひとつの今回のきっかけになったかなと思います」

「ある意味自分がスポーツ選手として、レーシングドライバーとして速さを持ったまま、次のステージにそろそろ入るつもりで……というのがきっかけですね。今度シリーズチャンピオンを争うときには、後輩たちに頑張ってもらおうと、そう思ったのが鈴鹿のレースでした」

●一度は“お断り”されたスバル入り
 そんな山野にとっての“後期”は、スバルとともにマシンを作り上げ、勝利を重ねてきた。山野と苦楽をともにしてきた辰巳STI総監督は、山野からのアプローチに対して、「3連覇した人が乗るクルマじゃないでしょう」と一度山野を断ったというエピソードを明かした。

「情けない話ですが、ちょうど7年前、まだ私が富士重工で現役だった頃、スバルがレースを戦うイメージがなかったんです。ラリーにはありましたが、GTレースの中で華々しく走っているイメージがまったくなくて。『やめた方がいいですよ』と言ったのを覚えています」と辰巳総監督は笑う。

 この辰巳総監督の発言に対し、「僕に火を点けました」というのは山野だ。「それを言われて乗りたくなったのがスバルでした。『やめた方がいい』というのは、3年連続でチャンピオンを獲った直後だったので、『山野の将来に何もいいことがないよ』と気を遣って頂いたのだと思います。ただ、そういうところに身を置くことによって、さらに自分が進化すると言いますか、そこで何か実績を残すことができればやはり本物だという反骨精神と言いますか、そうしたものが自分のやる気を起こさせてくれました」と振り返った。

 辰巳総監督は「山野さんが乗ってから、インプレッサ、レガシィB4、今のBRZと、他のいいマシンがいっぱいいる中で勝っている。それがやっぱりすごい」と山野を評した。

「そうしたクルマを進化させてくれる力というのは当然あるのですが、私がいちばん強調したいのは、GTの世界で、山野さんのようなドライバーというのがお客さんを呼び込んできているということがあると思います。山野さんのようなドライバーがファンを大事にしている。スバルファンだけではなくて、クルマファンがどんどん増えてきているんじゃないかなという気がしていて、それは山野さんの功績がすごいなと思っています」

●山野の今後は?
 山野は、「ひと言で言えば達成感です。前期ではチャンピオンをたくさん獲って、後期はスバルに在籍してたくさんのクルマを優勝させることができた。そういう達成感によって自分自身でそういう気持ちを持つようになった」と“勇退”の理由を語る。

 ホンダの社員からN1耐久、シビックレース、ジムカーナ、そしてスーパーGTと多くのシーンでそのテクニックと開発能力をみせつけてきた山野。今後については、「レーシングドライバーをやめるわけではなく、これからもレーシングドライバーとして、色々なカテゴリーでモータースポーツで新たな記録を目指してチャレンジしていきたいと思っています」と言う。

「先日はラリーにもチャレンジしてみましたが、色々なカテゴリーがあります。もしかしたら海外レースもあるかもしれません。また、実は市販車の開発が大好きなので、まだそれができるのかは分かりませんが、開発をしたりだとか、世界に認められるような市販車を作りたいという夢を持っています」と夢を語った山野。

「お客様に運転をしてもらうドライビングアドバイザーの仕事であったり、もしくはモータージャーナリストであったり、いろいろな分野で活躍していきたいなと思っているところです」

 では、今後スーパーGTについては? という質問については、「まだはっきりと決まったことは何もありません。でも少なくとも、来年は山野哲也にとってはGTを走るという意味ではノーチャンスになる可能性はあります。それは覚悟の上で今回決断したというところはありますね」とスーパーGTでの活動は来季ついての考え方を示した。

 一方で、辰巳総監督も「これで山野さんがスバルをぶつっとやめて、どこか別のチームにいくのだと言ったら私も反対します。ただ山野さんとしては、ここまでスバルを育ててきて、スバルの将来を考えるとここで後身に道を譲って自分は勇退という道を選び、まだアドバイザー的にスバルと関わりをもっていきたいという話もしてくれました」と語る。

 山野も「僕自身もスバルの考え方として応援するスタイルは変わらないです。自分が降りてもこのチームは応援していく。スバルも応援していく。クルマファンも応援していくというところは変わらないです」と、今後もスバルと関わっていくことを否定しなかった。

本日のレースクイーン

渡川ももとがわもも
2025年 / スーパーGT
Pacific Fairies
  • auto sport ch by autosport web

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

  • auto sport

    auto sport 2025年7月号 No.1609

    【特集】LE MANS 2025
    “史上最混戦”の俊足耐久プロト頂上決定戦

  • asweb shop

    STANLEY TEAM KUNIMITSUグッズに御朱印帳が登場!
    細かい繊細な織りで表現された豪華な仕上げ

    3,000円