3月21日、株式会社ルマンの代表取締役としてレーシングカーの輸入やレーシング部門のチーム・ルマンを運営、日本のレース界を支えてきた花輪知夫さんが急性呼吸不全のため亡くなった。享年69歳だった。
花輪さんは、株式会社ルマン商会の代表として1967年からマーチやローラ、シェブロン、さらにレイナードなど外国製レーシングカーの輸入や、ヒューランドのミッションなど、輸入・輸出・販売を行い、日本のプライベートチームを支えてきた。
1969年にはレーシング部門としてチーム・ルマンを設立。全日本F2000やF2、全日本F3000、フォーミュラ・ニッポンに参戦。ケケ・ロズベルグやリカルド・パトレーゼ、ミハエル・シューマッハーやラルフ・シューマッハーなど後にF1に進出したドライバーを排出したほか、松本恵二や服部尚貴など日本人ドライバーも在籍。JGTC/スーパーGTでもチャンピオンを獲得する強豪チームを育てた。
心から哀悼の意を表したい。