2011年はスーパーGTでMOTUL AUTECH GT-Rを駆り3勝を挙げ、ル・マン24時間ではアウディR18 TDIで優勝を飾ったブノワ・トレルイエが、自身のプレスリリースで2012年の活動について、揺れる胸中を語っている。
トレルイエはJAF Grand Prix FUJI SPRINT CUPのレースについてレポートする自身のプレスリリースの中で、ちょうど富士スピードウェイのレースウイークに発表された2012年の世界耐久選手権のカレンダーを見て、「日本のファンのために走るのは最後になるかもしれない」と複雑な心境を抱いたという。
「WECのカレンダーがちょうど発表されたけれど、WECの第2戦スパの日程が、スーパーGT第2戦富士と重なっているんだ。僕はまだWECについて正式なオファーをもらった訳ではないけど、もしオファーがあるならば、それは疑うまでもなく僕のキャリアにおいてベストな方向になるだろう」とトレルイエ。
トレルイエは「FUJI SPRINT CUPの間はこの問題を置いておいて、ニッサンと愛するファンのためにすべてのエネルギーを注ぎ強いレースをみせよう」という決意のもと、金曜の予選に臨んだ。
「予選で雨が降っているのを見て、笑顔を抑えられなかったね。僕たちはレインコンディションですごく自信があった。でも、残念なことにアタックに入るのが遅すぎて、雨がひどくなってしまった。5番手だったけど、ポールを得る自信はあったよ」
土曜の第1レースに出場したトレルイエは、「クラッチが壊れそうなくらいになって、後退してしまった」とスタンディング形式のスタートでポジションを落とし、3番手まで挽回するもののパンクチャーが発生。13コーナーでコースオフし、勝負権を失ってしまった。僚友の本山哲も日曜の第2レースではペナルティを取られてしまい、MOTUL AUTECH GT-RはJAF Grand Prix FUJI SPRINT CUPで思うような成績を出せなかった。
トレルイエはリリースの最後に、日曜の夕方、富士スピードウェイを離れる時に万年雪に覆われた富士山を見て、「次に富士山を見るのはいつになるだろうか」と感じたという。
「スーパーGTのカレンダーが変わらないなら、僕は選択をしなければならない」とトレルイエ。
「でも何が起ころうと、それは永遠のお別れじゃない。ちょっとした『サヨナラ』なんだ」