ホンダのこれまでのレーシングヒストリーを、撮り下ろしの写真と詳細な解説記事で紹介する特設サイト『Honda Racing Gallery』で、1996年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で活躍を見せたジャックス・アコードが新たに紹介されている。
Honda Racing Galleryでは、ツインリンクもてぎ内の『Honda Collection Hall』に所蔵されているマシンを中心に、『Racing on』、『F1速報』による撮り下ろしの写真と、その当時の時代背景なども踏まえた詳細な解説で紹介している。
JTCCの前身となったJTCに歴代シビックを投入し、同シリーズの最終年となった93年までに総合優勝1回を含むクラス優勝36回、7年連続メーカー別シリーズチャンピオン獲得と圧倒的な戦績を残していたホンダ。翌94年からスタートしたJTCCには6台のシビック・フェリオを投入したものの予想外の苦戦を喫し、94年、95年と黒星を積み重ねることとなった。
そこでホンダは、ターボ時代のF1でエンジン設計を務めた北元徹をプロジェクトリーダに据える。北本は、根本的な対策を施すべくシビック系を諦めてアコードをベース車両に選択。“最強のツーリングカー”を目指してエンジンを変更するとともに、設計陣の意識改革も実施。ホンダのF2挑戦を支えたロン・トーラナックをアドバイザーとして迎え、各パートに分かれていた設計作業を1台のマシンとしてまとめ上げる作業の統括を任せた。
96年、実戦デビューを果たしたアコード(コードネーム『1X』)は、それまでの連敗を食い止めただけでなく、開幕6戦で5勝を挙げることに。なかでも、カーナンバー14をつけた服部尚貴のジャックス・アコードがエースとしてシーズンを牽引。シーズン序盤にはフロントサスペンションのレギュレーション違反の疑義が出されたことにより第4ラウンドのMINE戦をキャンセルして改修を実施し、次世代機を前倒しで投入する形で『2X』をデビューさせる。
最終戦まで8勝して“最強のツーリングカー”と呼ばれることとなったアコード。最終ラウンドとなったインターTECでも2連勝を飾ったが、車両規則について抗議が出され2台は失格に。それでも服部とアコードはシリーズチャンピオンを獲得した。97年シーズン中には、フロントトレッドを拡大した『2.5X』を経て、空力をリファインした『3X』へと進化。中子修がシリーズチャンピオンに輝いた。
2年連続で王者を輩出したホンダは97年限りでJTCCの舞台を去り、以後は、アコード開発時の教訓を活かしながら、全日本GT選手権(JGTC)への転身を進めることとなる。ジャックス・アコードの詳細な解説、そしてその威容はHonda Racing Gallery(http://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1996/01/)で楽しむことができる。