ホンダのこれまでのレーシングヒストリーを、撮り下ろしの写真と詳細な解説記事で紹介する特設サイト『Honda Racing Gallery』で、1987年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)に投入され中子修/岡田秀樹が6戦全勝を達成したMOTUL 無限 CIVICが新たに紹介されている。

 Honda Racing Galleryでは、ツインリンクもてぎ内の『Honda Collection Hall』に所蔵されているマシンを中心に、『Racing on』、『F1速報』による撮り下ろしの写真と、その当時の時代背景なども踏まえた詳細な解説で紹介している。

 ホンダは、85年から始まったJTCに、ワンダーシビック(AT型)を擁して参戦。ホンダにとって、全日本格式のツーリングカー選手権に参戦するのはこれが初めてのことだった。

 中嶋悟/中子をドライバーに起用し、85年の第3戦西日本から参戦を開始したシビックは、開幕戦こそリタイアとなったものの、続く第4戦鈴鹿では雨が降ったり止んだりする天候のもと、1.6リッター以下の最小排気量のクラスAにも関わらず総合優勝を達成。各クラスともFR車が主戦力となる車種構成の中で、FF方式によるシビックがその優位性を発揮した。翌86年からは無限を介してJTCにエントリーし、中子/佐藤浩二のラインナップで参戦。開幕3位を獲得するも、以後はリタイアが続き成績は低迷することになった。

 3シーズン目となった87年からは、車名をMOTUL 無限 CIVICに変更。ドライバーラインナップは中子/岡田の組み合わせとなり、カーナンバーも“無限のゼッケン”として現在まで知られる16に。エンジンの高回転化など車両の熟成も進んだ。その結果、MOTUL 無限 CIVICは前年の不振を吹き飛ばすかのような快走を見せ、6戦全勝を果たしてドライバーズ/マニュファクチャラーズの両タイトルを獲得することとなった。

 以降、AT型シビックはJTCで通算12勝を挙げ、88年シーズン途中に一線を退く。後継のEF型、EG型も速さを見せ、シビックはマニュファクチャラーズタイトルを連続7シーズンにわたって獲得、ドライバーズタイトルも計5回を獲得する活躍を見せた。

 そんなシビックの偉業の出発点ともなった87年のMOTUL 無限 CIVICの威容と、参戦の軌跡はHonda Racing Gallery(http://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1987_3/01/)でチェックすることができる。

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