このインシデントは、2011年にオーストラリアGPのMoto2のフリー走行中に起きた、マルク・マルケスとラタパー・ウィライローの恐ろしい事故を思い出させる。マルケスはチェッカーフラッグの後もフルスピードで走り続け、ウィライローに激突したのだ。ウィライローはピットに戻るために当然ながら大幅にスピードを落として走行していた。マルケスはこの行為により、グリッド最後尾に降格となった。
これらの行為は同じでもあり、真逆でもあった。2011年と2019年のインシデントの唯一の違いは、フィリップアイランドでは衝突が起きたということだけだ。ウィライローはマルケスとの衝突により背中と膝を負傷した。だがウィライローとマルケスがふたりとも深刻な怪我をしなかったことは、本当に幸運なことだったのだ。
したがってビニャーレスは何列かグリッド位置を下げられて当然だった。彼が二度とこうしたアマチュアのような危険行為をしないようにするためにだ。
元Moto3チャンピオンであるビニャーレスに与えられたこのペナルティが厳しすぎると思う人は、ノーマン・ブラウン、ピーター・フバー、ラインハルト・ロスの名前をインターネットで検索すべきだ。
この3人のライダーたちは全員が速度差の犠牲となった。マン島TTレース優勝者のブラウンは、1983年のイギリスGPで、テクニカルトラブルのためにピットに向けて走行中に亡くなった。ブラウンはスイス人ライダーのピーター・フバーに後方から追突されたのだ。フバーはフルスピードで走行していた。フバーも命を失った。
グランプリを運営していたACU(オート・サイクル・ユニオン)の競技員は、事故現場を走り抜けたケニー・ロバーツや他のライダーたちが自主的にピットに入るまで、レースを中止しようとしなかった。
バイクレースの責任者たちがライダーのことを使い捨てのパフォーマーだと見なしていた、暗黒の時代だった。
「ブリテンの戦いのような考え方だ」と当時グランプリにプライベーターとして参戦していたクライブ・ホートンは語った。
「パイロットはライダーのように自分の仕事をする。彼らが出撃してひとりが負けても、常に代わりのパイロットがいる」
7年後、ホンダのファクトリーライダーのラインハルト・ロスは、1990年のユーゴスラビアGPで、250ccクラス首位を争っていた。彼は混み入ったトップ集団のなかで戦っていたため、コース前方への視界が大きく遮られてしまっていた。
レース終盤、ロスの前方のライダーたちはオーストラリア人のプライベーターのダレン・ミラーが、レーシングラインを辿ってピットに戻ろうとしているのを発見し、彼を避けようと進路をそらした。
ロスは回避のための行動をとることができず、高速でミラーに衝突した。ロスは重傷を負い、二度とレースはできなくなった。ロスは今も半身不随で寝たきりの状態にあり、身体の片側には麻痺が残っている。
イギリスのスーパーバイク選手権シリーズでディレクターを務めるスチュワート・ヒッグスは、こうした事故の恐ろしいビデオ映像を使って、同シリーズに参戦するライダーたちに分別を教え込んでいる。私は、ビニャーレスや他のMotoGPライダーたちも同じビデオを見るのがよいと思う。
フロントのコントロールを失い、クラッシュして世界選手権の戦いを台無しにすることと、人生を台無しにすることはまったく違うことなのだ。
