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F1 ニュース

投稿日: 2019.05.10 10:00
更新日: 2019.05.09 21:28

【新連載】F1歴史アーカイブス:レッドブルとタッグを組み、いよいよ真価が問われるホンダ。かつての黄金時代再来なるか

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F1 | 【新連載】F1歴史アーカイブス:レッドブルとタッグを組み、いよいよ真価が問われるホンダ。かつての黄金時代再来なるか

 様々なF1データをひも解きながら、現在と過去の歴史を読み解くコラムをF1速報webで新連載。初回はオートスポーツWEBでも全文を掲載。今回はいよいよ動き始めそうなホンダの数字と記録についてモータースポーツライターの林信次氏が語る。

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 ホンダのF1GPでの活躍がいよいよ現実味を帯びてきた。

 2015年に名門マクラーレンと組んで復帰して以来、しばらく苦戦が続いていたが、2019年にレッドブルと新たなコンビを組んでからは、開幕戦オーストラリアGPでエースのマックス・フェルスタッペンが一時トップを走行した後に3位表彰台を獲得、第2戦バーレーンGPから第4戦アゼルバイジャンGPまで3戦連続で4位に入賞した。また第3戦中国GPでは新鋭ピエール・ガスリーがレース中の最速ラップを記録するとともに、得点圏内である10位以内にトロロッソ・ホンダを含めた3台が食い込んだのだ。

2019年F1第1戦オーストラリアGPで3位表彰台を獲得したマックス・フェルスタッペン
2019年F1第1戦オーストラリアGPで3位表彰台を獲得したマックス・フェルスタッペン

 ホンダ製パワーユニット(PU/エンジン)を搭載し始めて2年目となるトロロッソも元々レッドブルのジュニアチームなので、両陣営が一致団結して臨めば、揃って戦績向上も夢ではない。

 開幕戦の3位表彰台は2008年イギリスGPのルーベンス・バリチェロ(ホンダRA108)以来11年ぶり。中国GPの得点圏内3台入賞は1991年日本GP以来、実に28年ぶりの快挙ということになる(当時は6位までが入賞)。

 1991年の日本GPは、最終ラップの最終コーナーで首位アイルトン・セナ(マクラーレンMP4/6・ホンダV12)が減速して僚友ゲルハルト・ベルガーに優勝をプレゼントした衝撃の一戦だった。6位にステファノ・モデーナ(ティレル020・ホンダV10)が食い込んだこのレースは、もう一台のティレル・ホンダに乗る日本人初のF1レギュラー中嶋悟にとっての引退一戦前の晴れ舞台でもあった。

 年季の入ったファンにとっては、つい先日のことのように鮮明な記憶だが、いま28歳未満のファンであれば生まれてもいない。つまり、ホンダの黄金時代を知らないファンが増えている現在、今後訪れるだろうホンダの活躍ぶりは、懐かしいというよりは初めての体験となっていくことになる。

 F1GPの歴史は長い。第3戦中国GPは、1950年に世界選手権F1GPが始まって以来、通算1000戦目に相当する記念大会だった。

 ホンダが日本車として初めてF1GPにデビューした1964年ドイツGPは、通算127戦目に相当し、難コースとして知られたニュルブルクリング北コースが舞台だった。今から55年も前、東京オリンピック開催の2カ月前の出来事だ。

 エンジンもシャシーも自製した日の丸カラーのマシンは、翌1965年メキシコGPと1967年イタリアGPで優勝を遂げ、日本の自動車業界を大いに鼓舞すると同時に、高度成長真只中で急増するカーマニアたちを熱狂させた。しかしホンダは1968年末に一旦F1活動を休止する。ここまでが第一期活動となる。

 通算1000GPのうち、ホンダが参戦したのは今や425戦を数えるが、そのうちの88戦はシャシーも自製する『コンストラクター』としての参戦だった。

1988年 アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
1988年 アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)


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