アメリカの元レーシングドライバーで、伝説的なマニュファクチャラーであるシェルビー・アメリカンを興したキャロル・シェルビーが10日、ダラスの病院で亡くなった。89歳だった。
1923年にテキサス州で、郵便局員の息子として生まれたキャロル・シェルビーは、第二次世界大戦に空軍のパイロットとして従軍。戦後は養鶏場を営むが、1932年にレーシングドライバーとしてデビュー。ドライバーとしてのキャリアを重ねていく。
1950年代には、創生期のF1にも参戦。マセラティ250FやアストンマーチンDBR4をドライブしたが、最上位は4位。一方、1959年にはル・マン24時間耐久レースでアストンマーチンDBR1をドライブし優勝を飾っている。
しかし、1960年に心臓病によりレーシングドライバーを引退。レーシングカーデザインとカーマニュファクチャラーという業務に転身し、シェルビー・アメリカン社を創設した。優れたライトウエイトスポーツにビッグパワーのエンジンを搭載するアイデアをもったシェルビーは、当初シボレーとの交渉に臨むが、その後フォードと組み、イギリスのACエースにフォードエンジンを搭載したACコブラが誕生。レースシーンでも大活躍した。
また、シェルビーはル・マン向けにコブラをベースにしたシェルビー・コブラ・デイトナを開発。また、フォードのル・マン挑戦にあたっては、フォードGTの改良に携わるなど、フォードのレーシングカー開発を支えることに。携わったフォードGTやシェルビー・デイトナは何度もル・マンを制し、アメリカン・モータースポーツ界のレジェンドとして語られる存在となっていた。
現在もシェルビーの名を冠したフォード・シェルビーGT500などがリリースされており、その名はシェルビー・アメリカン社とともに歴史に刻まれることになる。心から哀悼の意を表したい。
In Their Own Words — Carroll Shelby