赤井邦彦がF1のホットな話題について、鋭い論評を繰り広げる連載「エフワン見聞録」

 佐藤琢磨が先日ロングビーチで行われたインディカーのレースで優勝した。うん、これは凄いことだ。幼稚園の駆けっこでも勝つのは大変なのに、屈強でスピードなんか屁でもないという男達が何十人も集まったインディカーのレースで勝つことがどれだけ大変かということを考えれば、佐藤の為し得たことは無条件に立派だと言うことができるだろう。

 佐藤琢磨というドライバーは幸せなドライバーだ。彼ほど日本人の心を掴み、多くのファンに支えられたドライバーは、恐らくこれまでの我が国のモータースポーツの歴史の中には存在しなかった。その来歴がまた良い。日本を飛び出し、イギリスでF3を戦ってチャンピオンに輝いた。世界中の鼻が高い若者が集まるマカオGPにも勝ち、F1へ進んだ。世界の頂点で戦うトップドライバーが辿る道筋をしっかり進んできたわけだ。“モータースポーツの王道を歩んだ”というのは彼のような来歴を持つ者を指す言葉に違いない。しかし、不思議なことがある。彼は日本のレースで活躍しないまま世界に出て行ったにもかかわらず、母国での人気が圧倒的に高いということだ。

 日本人は精神性を大変に重要視する。対象となる相手に対し、何かを共有する(あるいは共有したと思い込む)ことで、相手に繋がっているという思いを自分の中に構築する。空間であっても時間であってもなんでもいい。相手と自分が同じ世界に住むことで、相手の気持ちを汲み取ることができると信じるからだ。

 イチローも松井もダルビッシュも、日本の野球界で活躍した後でアメリカへ渡った。彼等が日本人に支持され、多くのファンを持つのは、日本で空間や時間を共有したことで、日本人に分かる生き様を見せつけてきたからだ。日本の球界で活躍する間に、彼等とファンの間には目に見えぬ、それでいて簡単には切れない絆のようなものが生まれた。その絆は日本を離れてからも切れることがない。それが精神性だからだ。故に、彼等はどこへ行っても日本人ファンから見捨てられることはない。

 しかし、佐藤は日本のファンと共有したものがあるかといえば、イチローや松井やダルビッシュと比べるとほとんど何もない。日本のレースに頻繁に出場したわけでもなく、たまに帰って来てF1やインディのレースに出場するだけだった。しかも、そこで屈強な外人ドライバーをねじ伏せたわけではない。彼がファンと共有できる要素は、日本人という事実だけ。にもかかわらず、佐藤には多くの日本人ファンがおり、佐藤の生き様や人生観まで理解したように応援する。この不思議な力、これは小林可夢偉にはないものだ。

 う~ん、難しい領域に入ってきた。精神性などという入り口から入らなければよかったのかもしれない。だが、私には佐藤が不思議な存在に映るから、どうしてもここから入らなければならなかった。ドライバーとしての才能や成績から入れば、諸手を挙げて全肯定することは難しい。もちろん、佐藤にトップドライバーとしての才能がないと言っているわけではない。彼には溢れんばかりの才能があることは分かっている。だが、その才能はミハエル・シューマッハーやアイルトン・セナが持っていたような唯一無二のものではない。F1で永く戦ったにもかかわらず、優勝が一度もないという現実は、それを証明している。しかし、勝利はなくても、「次のレースではもしかすると勝ってくれるのではないか」という期待は常にあった。

 分かったような気がしてきたぞ。佐藤がいつまでも日本人ファンを惹きつけて放さないのは、いつかは必ず我々の期待に応えて勝ってくれるに違いないと思わせる、彼が発するエネルギーのせいなのだ。それは、レースに対する極めて日本的なアプローチなのかもしれない。彼は、参戦するレースに全力で挑む。全力で挑んでいることを全身で、言葉を尽くして表現する。負けても言い訳をしない。ここだ! 佐藤が日本のファンに大切にされる理由は。

 だからだろう。私は今回の佐藤の勝利を聞いても、達成感が少なかった。他人の勝利を見て達成感というのもおかしな話だが、今回の勝利も彼の他のレースと同じレベルに感じられたのだ。それは、「次のレースでは、佐藤はもっと凄いことをしでかすのではないか」と我々に期待を持たせるようなレースだったからだ。優勝以上に凄いこと? それはいったい何なのだろう? それが何かはわからないが、佐藤がいつのレースであっても今回と同じような充実したレースを行っている証と言えるだろう。非常に深度のある、重い、エネルギーに満ちたレース。それが、佐藤が常に心がけてきたレースである。日本でレースをすることなく、日本人ファンと共有するものを持たずに海外で戦いながら、その間に彼は猛烈に純度の高いエネルギーを発していたのだ。佐藤琢磨の価値はそこにあり、ファンがファンでいることに満足感を覚える理由なのだろう。

 では、今回勝ったことで彼は変わるだろうか? 変わるだろうし、変わらないだろう。大きな偉業を成し遂げて変わらなければ人間ではない。しかし、次のレースもこれまでと同じように戦うはずだ。それが佐藤琢磨にとって重要なことだからだ。

赤井邦彦(あかいくにひこ):世界中を縦横無尽に飛び回り、F1やWECを中心に取材するジャーナリスト。F1関連を中心に、自動車業界や航空業界などに関する著書多数。Twitter(@akaikunihiko)やFacebookを活用した、歯に衣着せぬ(本人曰く「歯に衣着せる」)物言いにも注目。2013年3月より本連載『エフワン見聞録』を開始。月2回の更新予定である。

AUTOSPORTwebコラム トップ⇒http://as-web.jp/as_feature/info.php?no=70

本日のレースクイーン

青山水咲あおやまみさき
2025年 / スーパーGT
SUBARU BRZ GT GALS BREEZE
  • auto sport ch by autosport web

    FORMATION LAP Produced by auto sport : Hands in the Fight|0.25mmの戦い

    FORMATION LAP Produced by auto sport : Hands in the Fight|0.25mmの戦い

  • auto sport

    auto sport 2025年7月号 No.1609

    【特集】LE MANS 2025
    “史上最混戦”の俊足耐久プロト頂上決定戦

  • asweb shop

    STANLEY TEAM KUNIMITSUグッズに御朱印帳が登場!
    細かい繊細な織りで表現された豪華な仕上げ

    3,000円