ロス・ブラウンが、レース界に対する貢献が認められ、モータースポーツ・インダストリー・アソシエーション賞を受賞した。
マーチでスタートし、スポーツカーやF1で多くの成功を収めた33年間のキャリアが認められ、ブラウンに対し、MIA賞が授けられた。授賞式は貴族院においてMIAのサマーレセプションで行われた。
「彼はレースエンジニアとしての際立った才能を持つと同時に、完全性、誠実さ、謙虚さをも持ち合わせている。このアグレッシブな競争が繰り広げられるスポーツの世界においては、これらを兼ね備えているのはまれなことである」とMIAのCEO、クリス・アイレットはコメントしている。
「彼個人の貢献は、この世界的な産業において、従業員、サプライヤー、ドライバーなど多くの人間に利益をもたらした。彼の影響により、モータースポーツおよびF1はより一層素晴らしい世界となった」
「我々はよりよい将来を確立する手助けをしてくれる若手エンジニアを必要としているが、ロスはそういった若手エンジニアたちによい刺激を与えている。たとえばフォーミュラ・スチューデントのパトロンとして、彼は次の世代に対してある種の還元を行っている。F1のリーダーたちは世界的なモータースポーツの素晴らしい大使となる可能性を大いに秘めているが、ロスはこのスポーツの人気を将来につなげる新たな世代のひとりである」
ブラウンは1976年にマーチ・エンジニアリングに加入、2年後にウイリアムズ・グランプリに移籍、その後、TWRでジャガーXJR-14をデザインし、1991年の世界スポーツカー選手権を制した。その後、ベネトンで1994年、1995年にミハエル・シューマッハーによりタイトルを獲得、シューマッハーがフェラーリに移籍した翌年にブラウンもフェラーリ入りし、不振のフェラーリを立て直し、シューマッハーと共に1999年から6年連続コンストラクターズ選手権獲得を果たした。2006年末でシューマッハーが引退すると同時にブラウンは休養、2008年にホンダのチームプリンシパルとしてF1に復帰した。2008年末でホンダは不調のままにF1から撤退するが、ブラウンはチームを引き継いでブラウンGPを立ち上げ、2009年には他を圧倒する強さを見せつけ、第8戦終了時点でドライバーズ、コンストラクターズ、両選手権をリードしている。
MIA賞の過去の受賞者には、プロフェッサー・シド・ワトキンス、マーチ卿、サー・フランク・ウイリアムズ、サー・スターリング・モス、サー・ジャッキー・スチュワート、デイビッド・リチャーズ、バーニー・エクレストンらがいる。
