序章:長谷見昌弘が語るレースドライビング
モータースポーツは複雑なスポーツだ。道具を使うスポーツは大方そうだが、自動車というある意味能動的な道具を駆使するところに複雑で難しい要素が存在する。しかし、ドライバーもエンジニアもチーム監督もその複雑さを理解し、難しさを克服しなければ勝つことは出来ない。
エンジニアは自動車という機械を構成する部品の性質を知り、各部の動きなどの理論を理解することで、優れた性能の自動車を設計・開発することが出来るはずだし、理想的な動きを導き出すことも不可能ではないはずだ。近年はコンピュータを導入することで自動車は微細な動きまで解析出来るようになり、それがレースで速く走る自動車を作る助力になっていることは周知の事実だ。
問題はドライバーである。世の中に自動車を速く走らせる人間はいくらでもいる。しかし、速く走るだけではレースには勝てないし、レーシング・ドライバーとは言えない。では、レースで勝つことの出来るドライバーは、勝てないドライバーとどこが違うのか? その理由を見つけていくのがこの連載のテーマである。
ドライバーは人間であり、コンピュータより遙かに複雑な動きをし、物事を理解する能力を持っている。つまり、自動車を速く走らせるため、レースに勝つためにはどうすれば良いか理解できるということだ。そこで当連載では、我が国一の理論派ドライバーとして長く活躍してきた長谷見昌弘に、レース・ドライビングの真髄を語ってもらう。ドライバーの視点で「レースに勝てるドライビング」を分析し、実践するための手助けになればと思っている。
長谷見昌弘はこう言う。
「クルマの動きは理論を逸脱することはありません。だから、こういう運転をすればクルマはこういう走りをするということを知ることで、速く走ることが出来ます。ただ、それだけではレースには勝てない。レースに勝つにはライバルとの比較をもとに自分の走りを分析し、様々な点でライバルを凌駕することです」
「そのためにはコンピュータのデータを読み込む力も必要です。コンピュータは正直です。自分の弱点を容赦なくグラフに示してくれます。その弱点を克服することがレースで勝つ第一歩です」
そう語る長谷見だが、自身がレースを始めた時はコンピュータなどない時代。日産自動車のワークス・ドライバーとして連日走り込み、運転技術を体得していった。現在のドライバーとは比較にならない走行量で、ステアリングを握らない日はなかったというほど。クルマの動きは身体が覚えた時代だ。
長谷見は現在、トップドライバーとしての豊富な経験と、理論派ドライバーとしての冷静な分析力を買われて、日産ドライバー育成プログラム(NDDP)の監督を務める。同プログラムの若手ドライバーは、長谷見の指導でめきめき実力をつけてきている。
モータースポーツの歴史は長いが、優れたレース・ドライビング教本は世界中探しても数少ない。イギリスのジャーナリスト、デニス・ジェンキンソン(故人)が書いた本、浮谷東次郎(故人)がオートスポーツ誌に寄稿した「鈴鹿サーキットの走り方」などが有名だが、いずれも古き良き時代のテキスト。現代のモータースポーツに於けるレース・ドライビング教本は、本連載が初めてになるはずだ。
本編第1回目は、近日公開予定である。
長谷見昌弘:1945年東京都青梅市生まれ。兄弟の影響でモトクロス愛好会に入り、数々の草レースに出場。16歳、公式戦参戦わずか2戦目で初優勝を飾る。その後四輪レース転向を目指し、19歳で日産とプロドライバー契約を締結。四輪レースの活動を本格的にスタートさせる。1976年F1世界選手権イン・ジャパンの出走(コジマKE007)や1992年デイトナ24時間耐久レース(日産R91CP)での優勝など、記憶に残るレースは枚挙に暇がない。活動の場もツーリングカー、グループA、グループC、F1を含む各フォーミュラ、ラリーと幅広く、日本随一の理論派ドライバーとして知られている。2000年で現役から退き、以降はハセミ・モータースポーツの代表を務め、自らが監督を務めるチームでスーパーGT等に参戦。2011年からはNDDP(日産ドライバー育成プログラム)の監督として、自身の経験に基づき、若手の育成に当たっている。