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ル・マン/WECニュース

投稿日: 2010.07.05 00:00
更新日: 2018.02.15 20:56

野田英樹、ラストランを栄光のチェッカーで飾る!


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2010年 ルマン24時間耐久レース
野田英樹、相次ぐアクシデントを乗り越え悲願の完走
ラストランを栄光のチェッカーで飾る!!

F1、インディと共に世界3大レースと呼ばれるルマン24時間耐久レースの決勝が6月12〜13日に、フランス・ルマン市のサルテサーキットにて行われた。このレースをもって現役から引退することを決めた野田英樹は、決勝レースで多くのアクシデントに苦しめられたものの、3度目の挑戦にして総合26位、クラス10位での完走を果たした。
毎年限られた56台のマシンのみが出場できるこのレースも今年で78回目の開催となる。今年のエントリーには、昨年悲願の優勝を果たしたプジョーが連覇を目指し4台体制で参加。また昨年プジョーに敗れたアウディも3台のワークスマシンを投入する必勝態勢でレースに臨む。その他にも昨年のヨーロッパ・ルマンシリーズを制したアストンマーチンや、アメリカン・ルマンシリーズのLMP2クラスで圧倒的な速さを見せ、今季ヨーロッパでもその強さを発揮しているアキュラ(ホンダ)、GTクラスにも例年同様にポルシェ・フェラーリ・コルベット・ランボルギーニと、バリエーション豊かなマシン達が参戦している。
野田は2008年のヨーロッパ・ルマンシリーズ参戦時から共に闘ってきたKruse Schiller Motorsport(チーム名:クルーズ シラーモータースポーツ、ドイツ 以下KSM)から3度目のルマン24時間挑戦。初参戦となった2008年は約12時間でマシントラブルによりコース上でストップ。チームメイトのデ・ポタレスが雨の中懸命の修復作業を試みるもリタイヤに終わる。昨年はスタート直後から発生したエンジントラブルにより、幾度となくピットインを余儀なくされる厳しいレース展開に。それでもゴールまで約1時間というところまで走り続け、チェッカーフラッグを受ける最後の走行を野田が担当。しかしコースイン直後エンジントラブルが再び発生。野田はなんとかピットまでマシンを戻そうとするものの、ピット入口に差し掛かったところでついにエンジンから出火。火を消したマシンをチームスタッフに押してもらいピットガレージまで戻そうとする姿に観客は拍手で応援するも、マシンを再び走らせる事は叶わなかった。まさに「運命の悪戯」のようにチーム全員が待ち望んだ完走が消えてしまったのだ。

野田は2009年のルマン24時間をもって、現役から引退するつもりでレースに臨んでいた。しかし残りたったの45分でリタイヤという結末は、野田の28年間のドライバー人生で最も悔しいものであり、この悔しさを残したままではレーサーを辞めることは出来なかった。野田の照準はこの時から2010年のルマンで悔しさを晴らす事に定まっていた。
そして迎えた2010年、チームはエンジンの変更やシャーシの大幅なアップデートを行うなど昨年よりも戦闘力を大幅に向上。野田以外のドライバーには、2008年より野田と共に戦うジョン・デ・ポタレスと、若手のジョナサン・ケナードを起用。ヨーロッパ・ルマンシリーズの開幕戦ではトラブルに見舞われながらも8位入賞と幸先のよいスタートを切ることが出来た。先月行われた第2戦でも、中盤に発生したクラッチトラブルで惜しくもリタイヤにはなったものの、そこまでは十分に他のライバル達と争うことが出来るポテンシャルを見せていた。昨年の雪辱を晴らすべく、チームもルマン本戦に向けて強い意気込みで臨んでいるのだ。
そして野田はフランスに向かう前にこのレースをもって現役を退く事を正式に発表。昨年忘れてきた完走を果たすため、29年間のレーシングドライバー人生の最高の締めくくりのため、野田はルマンへと向かった。

7日(月)、恒例行事であるルマン市の中心部、ジャコバン広場での公開車検2日目にKSMと野田が登場。週末を通して不安定な天候だったものの、この時は見事な快晴で順調にマシンチェックが行われていく。昨年は準備不足から細かな問題点が何カ所もあったが、今年は何一つ問題なく車検を通過。チームスタッフ全員での記念撮影も無事に済ませ、皆晴れやかな明るい表情で終始リラックスし、非常に流れの良いスタートとなった。

8日(火)、参加する全ドライバーが出席してのドライバーズブリーフィングが行われた。明日から始まる走行時の注意点の説明など話されるこの場で、野田はこれまでのチームメイトやライバル達から次々に声を掛けられていた。野田の引退発表は日本国内に向けてのみだったにも関わらず、彼らはその情報を聞きつけ、野田に労いの言葉を掛けてくれていたのだ。野田はこの時、改めて29年間のドライバー人生で素晴らしい人達との繋がりを築くことができたと噛みしめていた。
また、チームはサルテサーキット隣にある空港にてマシンのシェイクダウンテストを実施。問題なくテストを終え、明日から始まる走行に向け着々と準備を整えていく。

9日(水)、ついにこの日から走行が始まる。この日は4時間の公式練習と2時間の予選1回目が予定されている。まずは16時からの公式練習、野田からステアリングを握りマシンのチェック走行を行う。雨上がり、そして普段は公道として使われているサルテサーキットの走り始めということで、路面のコンディションはかなり悪い。野田は3周のチェックを終え、マシンをルマン初挑戦となるケナードに譲る。新人のドライバーは決勝までに最低10周は走っていなければいけないというルマンの規定があるため、この走行はケナードの慣熟に時間を費やす予定だ。ケナードに交替した段階でギアボックスにわずかなトラブルを抱えていたが、走行に大きな支障はないとしてそのまま走行を続ける。ケナードは全く問題なく規定の10周をクリアし、野田が再びステアリングを握りマシンのセッティングを始める事に。ハンドリングに修正の余地があるものの、マシンの状態は概ね良好。最後にデ・ポタレスに交替して公式練習が終了。2時間後の予選に向けてギアボックスのトラブルシューティングに取り掛かる。
22時から、夜間の予選が始まる。KSMは公式練習時のギアボックストラブルの解消に多少時間がかかってしまい、コースインしたのはセッションがスタートしてから30分程がたった時だった。24時間という長いレース、予選用のマシンセッティングやタイヤで速いタイムを出してスタート位置を前にすることよりも、決勝レースを確実に走り切るマシン作りをするべきだというチームの作戦に従い、無理なアタックはせずにタイヤも前回のスパで使用した中古のタイヤでマシンのチェックを再度行う。マシンのハンドリングは若干解消されたものの、コーナーでハンドルを切っている以上にマシンが曲がってしまうオーバーステアの傾向があるため、このままで決勝レースを戦うのは厳しい状態。まだセッティングを煮詰める必要がある。また、この夜間のセッションでは全員のドライバーが3周以上走らなければいけないため、ケナード、デ・ポタレスもステアリングを握り、決勝に向けて更にマシンを仕上げていく。予選の結果はクラス8番手、チームは1日目の予選が終了した段階でエンジンを決勝用のものに乗せ換え、確実な戦略で決勝に備えることを決めた。

10日(木)、予選2日目を迎えた。前日夜からエンジンの乗せ換え作業を行っているKSMは、この日の2回の予選を全て決勝に向けてのチェックにあてる予定だ。19時から21時までの1回目、マシンは一度完全に解体した状態から組み上げたために、コースインしたのは最後の15分程度。ケナードは入念にマシンのチェックを行い、細かなオイル漏れなどのマイナートラブルを洗い出し、2回目の走行に向け解決を急ぐ。22時から0時までの最後の予選、ここでもガソリン漏れのトラブルを確認。修復に時間が掛ってしまい、約30分遅れでスタート。それでも前日のオーバーステア対策のセッティングは良好だ。ここで決勝用の新品タイヤを履いてアタックに入ろうとするも、タイミング悪く赤旗により中断。アタックが出来なかった事は少し心残りだったが、決勝レースは総合26番、クラス8番手からのスタートが確定した。

11日(金)、明日に決勝レースを控え、毎年恒例のドライバーパレードがルマン市街地で行われた。沿道には数万人もの人々が詰めかけ、各ドライバーもにこやかな表情で声援に答えていた。野田は3度目のパレードとなるが、毎年変わらない人々のルマンに対する情熱と興奮に強く心を打たれる。また日本からの応援団もたくさんおり、野田は多くのファンからのサインや握手に答え、明日から始まる伝統のルマン24時間レースのもつ独特な雰囲気と、最後のレースに向けて感慨深くルマンの街を一周したのであった。
またこの日チームでは決勝に向けてのミーティングを実施。24時間のレースでは例年予期せぬトラブルやアクシデントで、多くのマシンがリタイヤに追い込まれていく。昨年までのKSMもそれに飲み込まれているように。今年こそは念願の完走に向け、他車との戦いではなく、燃費の向上や迅速で確実なトラブルシューティングなど、自分たちとの戦いで確実に走りきることを再確認。またマシンの状態は決して悪くはないのだが、まだ改善すべき余地もある。そこを入念に話し合い、24時間の長い戦いに向け再びチームの士気は高まっていった。

12日(土)、ついに長く過酷な24時間の戦いの朝を迎えた。9時から決勝前最後の走行となるウォームアップが45分間行われ、15時に決勝レースのスタートとなる。もちろんチェッカーが振られるのは翌13日の15時だ。ウォームアップ走行のスタート、デ・ポタレス、ケナードがそれぞれ最後のチェックを行う。マシンのセッティングも一昨日よりもさらに向上しており、決勝に向けてかなり納得できる状態にまで持っていくことが出来た。最新型を使用するLMP2クラスのトップチームに比べ、ストレートでの最高速が約15km/hも遅いKSMのマシンでは、対等に戦うことは非常に難しい。それでも3人のドライバーの平均ラップタイムならばKSMは上位チームに近い所にいる。24時間を確実に走りきることが出来れば表彰台を狙うことも十分可能だ。己との戦い、それを乗り越えることこそがKSMの最大の目標であり、強敵でもあるのだ。

スタートの時間は刻一刻と迫ってくる。KSMのスタートドライバーは昨年と同じくデ・ポタレスが務める。年に一度のビックイベントであるルマン、サーキットには23万人もの観客が詰めかけ、56台による世界一過酷で偉大な耐久レースをその目に焼き付けようとしている。14時52分、グリーンフラッグが振られると、予選1位のプジョーを先頭に56台のマシンがフォーメーションラップへと動き出す。隊列を作りながら13.6kmあるサルテサーキットを1周、もちろん26番目にはデ・ポタレスがドライブするKSMのマシンがいる。そして15時ちょうど、フランス国旗が振られたのと同時に、最終コーナーを立ちあがってきた56台の隊列が全開でストレートを駆け抜けていく。ルマン24時間耐久レースのスタートだ。
デ・ポタレスはスタートからよいペースで周回を重ねていき、一時はクラス5番手にまで浮上。このまま順調にいくかと思った矢先、ギアボックスにトラブルが起きてしまう。原因を見つけるのに手間取ったが、症状自体は軽度なもの。イグニッションを一度オフにすれば一時的に解決する問題なので、ロスタイムは数秒程度で抑えられる。チームはピットでの修復作業は行わずこのまま走行を続けると判断、しかしこのトラブルでクラス10番手にまで後退してしまう。
その後はケナード、野田とドライバーを交替。小さなトラブルはあるが基本的なマシンの状態は良く、落とした順位を少しずつ挽回していく。本来ならば、3分45秒台のラップタイムで周回することも可能であったが、チームから3分50秒台の方が燃費の問題で有利であるとの指示。野田はそれに従い確実に周回を重ねていき、再びデ・ポタレスにステアリングを譲った。順位はこの時点でクラス6番手にまで上がっていた。
このまま順調に行きたい所であったが、やはり簡単には進まない。スタートから4時間が経過した頃、オルタネーターのトラブルにより、バッテリーがほとんど充電されていないことが発覚。マシンは一度ガレージに入れられ修復作業開始、30分のロスタイムで再びクラス最後尾にまで順位を落としてしまう。その後デ・ポタレスからステアリングを託されたケナードであったが、縁石に乗りすぎたためにマシンにダメージを与えてしまう。さらに本来なら3スティントを予定していたのだが、極度の疲労によりドライバー交代を懇願。急遽仮眠していた野田を起こしドライバー交代を行った。夜の闇の中を最高速度約300km/hで走り続けなければならない過酷なルマン・サルテサーキット。ケナードが極度の疲労を起こすのも無理はない。
交替した野田ではあったが、直前まで仮眠していたこともあり現状の説明もなくコースイン。いざ走らせてみるとマシンの状態は想像以上に悪く、まっすぐ走らせるのがやっとといった状況であった。当然ラップタイムを上げることはできず、ここからは我慢の走行が続く。それでも野田は走行を続け、まもなく夜が明けようかといった時だった。LMP1クラスのトップ争いをしているアウディ、プジョーに道を譲ろうとした際、行き場が無くなりコースアウトをしてしまう。マシンはグラベルにつかまり、コースオフィシャルに協力してもらい脱出。およそ1周のロスタイムだ。最終的にナイトセッションを3スティント走り切った野田は、デ・ポタレスに3度目のステアリングを託す。
コースインしたデ・ポタレスもまともに走らないマシンの状態に苦戦を強いられる。ついには90°コーナーのアルナージュで止まり切れずにウォールにクラッシュ、マシンのフロント部分を失ってしまう。さらにコースに戻ろうとするも、ギアボックスの不調が原因でバックギアに入れることが出来ない。デ・ポタレスは一度マシンを降り、右手のみでエンジンカバーを開け何とかリバースに入るよう作業を始める。この判断が功を奏し何とかコースに復帰。デ・ポタレスはそのままピットインし、マシンの修復作業に入る。またこのタイミングで全てのトラブルを解決するべくチームスタッフは大がかりな作業に入った。マシンはジャッキアップされ、夜間走行中に破損してしまったマシン下部のフロアパネルの応急処置や、スタート直後から発生していた電気系のミッショントラブル、そしてクラッシュで破損したフロントカウルの交換などすべての問題を解消。約2時間の大きなタイムロスで前のマシンには大きく離されてしまったが、ケナードにドライバーも交替してコースに戻った。
レースは残り約4時間、ケナードが3スティントを走り、野田が最後の2スティントを走ってチェッカーを受ける予定だ。ケナードは修復されたマシンで果敢に走行。1スティント目は素晴らしい走りを見せ、大きく離された前車との差をジリジリと詰めていった。ところが2スティント目でまたしてもフロアパネルにダメージを作ってしまい、ここからはペースダウンを余儀なくされる。それでも3スティントを走り切り、最後の走者、野田に全てを委ねた。チームの3年越しの願い、応援してくれている全ての人たちの思い、そして何よりも野田自身の29年間のドライバー人生の花道、その全てが残り1時間半に掛けられた。
先ほどのフロアパネルのダメージにより、マシンバランスはさらにひどい状態になっていた。まっすぐ走らず、ブレーキもまっすぐ止まらない。左に切ればオーバーステアで右に切ればアンダーステア。前を追いかけるどころか、一瞬でもミスをすれば完走も叶わなくなるような状況だ。野田は残る全ての集中力でこのマシンをゴールまで導くと決め、1周1周確実に周回を重ねる。1スティントを終え給油のためにピットインした際にマシンをチェック。フロアパネルのダメージが思ったよりも酷く、路面にこすれて焦げた匂いが漂うほどだ。このままでは危険と判断し緊急の作業開始。残り45分、昨年はこの時間に涙をのんだが、今年はそれでは終われない。そして残り35分、野田はレーシングドライバーとしてのファイナルスティントに出て行った。
応急処置を施したとはいえ、万一コースアウトでもしたらフロアパネルは外れ走行出来なくなってしまう、一瞬の油断も許されない状況は続いている。すでに28台がリタイヤに追い込まれ、まさにサバイバルレースとなった今年のルマン24時間。完走することの大変さ、それを成し遂げることの偉大さを、昨年は強く思い知らされた。その栄光のチェッカーフラッグが、ついに野田のKSM39号車に振られる。チームスタッフ、見守り続けた家族、そして観客全てが野田を迎え入れる。野田はそれに答えるように右こぶしを高く突き上げ、長く過酷なレースに幕を閉じた。
走行時間24時間1分28秒、総周回数291周、総合26位、LMP2クラス10位での完走。それが、野田英樹のレーシングドライバーとしてのフィニッシュであった。

またレースは、優勝候補筆頭であったプジョーがトラブルにより4台ともリタイヤ、予選ではプジョーに完敗であったが、高いチーム力で3台全てを完走に導いたアウディーワークスが表彰台を独占で勝利した。さらに総合優勝した9号車は397周、5,410kmを走り切る大会新記録も打ち立てる快挙も達成した。LMP2クラスは例年5割程度の完走率となるものの、今年のリタイヤはわずか2台だけ。全クラスの中で最も完走率が高かった。その中でも前評判通り42号車アキュラ(ホンダ)のHPD ARX.01が圧倒的な速さを見せ優勝、格上のLMP1に迫る総合5位でチェッカーを受けている。GT1クラスは完走わずか3台の激戦を制した50号車サリーン S7R、GT2クラスはポルシェワークスの77号車がそれぞれ勝利を飾った。

野田英樹コメント
「今年のルマンは例年以上に過酷なレースでした。完走したのは半分、莫大な予算で参戦しているプジョーのワークスチームが全滅してしまうような中で、我々のようなプライベートチームが完走を成し遂げたことは称賛に値できるものだと思います。本当に素晴らしい仲間たちと戦うことが出来ました。
 昨年の悪夢のようなリタイヤは、私の人生で最大の悔しさでした。あのときの涙は必ずここで返すと誓ってから一年、昨年燃えた同じマシンで、この仲間たちと偉業を成し遂げられ、私は本当に幸せであると思っています。
 レース前のミーティングで、エンジニアから最後のスティントは悔いの残さぬよう全力でプッシュしてもいいという指示をもらっていました。しかし実際はマシンの状態が良くなく、完走までマシンを導くことで精いっぱいの走行でした。感無量な気持ちになるよりも、マシンを走らせることに全神経を集中していましたので、意外とあっけなくチェッカーをうけてしまいました。贅沢を言えばそれが少し心残りですが、それでも偉大なレースで完走できた喜びに比べれば小さいものです。

今回のレースも多くのトラブルと戦い、しかしそれを乗り越えて目標を掴むというところは、自分自身のレース人生そのものが凝縮されていたような24時間レースでした。最後まで高いプロドライバー意識で走り切れたのは、いつも応援してくれるファンやスポンサーの皆様、そしてスタッフ全員の力と、家族や友人の応援があったからだと思います。最後の参戦に向け多くの人々に協力していただき、また応援していただいたからこそ達成出来たものでもあります。レース後、現場にいる多くの方々に祝福していただき、またファンやメディア関係の方からも声を掛けてもらいました。レースを通して世界中の素晴らしい仲間たちとも出会うことができ、私は本当に素晴らしいドライバー人生を送らせてもらったと、改めて実感しました。
レース後の翌日は抜け殻みたいになって動く気持ちすら無かったです。それだけレースが好きで辞めることに未練がありました。24時間の走行の疲れと、これまでの疲れ、そしてヘルメットを置くという事の辛さでしょう…。

これでレーシングドライバー野田英樹としての挑戦は終わりますが、これからは野田英樹として新たなチャレンジに向かって走り続けます。これからの挑戦も平坦ではないでしょうが、これまで通り「The Challenge of Spirit」で生きて行きたいと思います。そしていつの日か世界で通用する若手ドライバーを育て、またこの地に帰ってくることを願っています。

最後に、29年間本当に多くの方々からご支援、ご協力、そしてご声援を頂いて今日まで走ってまいりました、心から感謝しております。今まで本当に有難うございました。」


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