今年で1994年の全日本GT選手権開幕から20年。数々の名勝負が展開され、いまやアジアのみならず世界最高レベルのGTカーレース、スーパーGTに成長した。そんな中、スーパーGTを毎戦放映しているJ SPORTSでは、『俺たちのベストレース』を12月から放映する。
この『俺たちのベストレース』では、記念すべき1994年の第1戦から、歴史に残る名勝負を中心に20戦のレースがピックアップされており、ファンの皆さんが投票することができる(それ以外のレースからも投票可能)。もちろん投票した方には抽選で豪華プレゼントが当たるので、こちらもお見逃しなく。
そんな『俺たちのベストレース』。ノミネートされたレースの一覧を見てみると、今でも目を閉じればどんなレースかが浮かんでくるほどの珠玉の名勝負ばかり。そこで、オートスポーツwebでスーパーGTを担当するヒラノも“俺のベストレース”を選んでみよう。
ヒラノが仕事としてGTに行くようになったのは2002年から。オートスポーツweb上で、本格的にスーパーGTをサーキットからお届けするようになったのは2005年頃からだ。ただ、80年代末(当時はまだ小学生でした……)からファンとしてモータースポーツは追いかけてきたので、もちろん1994年の開幕戦もレーシングオン/オートスポーツ誌上でくまなくチェックした記憶がある。グループCを愛好していた自分にとって、新たなGTレースのスタートは、新時代の幕開けを予感させた。
ただ、毎戦サーキットでその場の興奮の度合いを肌で感じ、さまざまな取材を経てドライバーたちの“思い”を知るようになってからは、やはりレースに対する気持ちの入り方はそれまでとは違った。そういった意味では、やはり自分の中では05年以降が対象になると言っていい。
そんな中で、自分が最も“興奮”したレースは、2012年の第1戦、岡山国際サーキットだ。GT500クラスデビュー以来接し、ハキハキとした取材への回答、その人柄で自然と応援したくなっていたキャラクターの持ち主、山本尚貴がRAYBRIG HSV-010を駆り、スーパーGT最速の男のひとり、立川祐路のZENT CERUMO SC430と壮絶な首位争いを展開したレースだ。
自動車メーカー、タイヤメーカー、そしてチーム、スポンサー、チームメイト。多くのものを背負うGT500クラスでは、ドライバーにかかるプレッシャーは常人の予想もつかないほど大きい。当時GT500クラスでまだ勝利がなかった山本にとっては、初勝利という“結果”は是が非でも欲しかったものだ。そして、1勝すればドライバーは変わる。ふだん取材でその思いに接していたからこそ、GT500最速男という壁を「乗り越えろ!」と見ている側も自然と力が入っていた。
残念ながら優勝は立川のものとなり、山本はレース後、悔しさのあまり涙に暮れた。しかし、あのレースがあったからこそ、2013年鈴鹿で勝利を飾った後の、あの感動の涙があったのは間違いない。その意味で、ひとりのトップドライバーの成長のための、ベストレースのひとつだったと言えるだろう。
あえて“次点”を探すなら、驚異の3ワイドが展開された07年第5戦SUGOだろうか。いずれにしても、メディアセンターで皆さんと同様「うおおお!」と叫べたレースが、自分の中ではとにかく印象に残っている。
ちなみに、今回“ノミネート”させることはできないが、GTAが認めるGT20年の歴史以前の1993年IMSA GTチャレンジも印象に残っているレースのひとつ。それまでのグループAの外観から豹変したド迫力のR32スカイラインGT-Rが、当時アメリカで活躍していたIMSA-GTS規定のマシンと対決、勝利を収めたレースだった。新しい歴史を感じさせたという意味で、重要なレースだったと思う。
『俺たちのベストレース』にノミネートされた20戦の中から「俺たちのベストレース」を選ぶファン投票を11月10日までJ SPORTSホームページ(http://www.jsports.co.jp/motor/gt/#ore)にて実施中。まだ投票していない方は、お早めに!
