フランク・ウイリアムズ卿がチーム代表を務めるウイリアムズF1チームが、今週末のイギリスGPでF1参戦600戦を祝う。

 名門ウイリアムズが誕生したのは1977年のこと。66年に設立しF1にも参戦したチーム『フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズ』をカナダの大富豪ウォルター・ウルフに売却したフランク・ウイリアムズと、シャシーメーカーのローラに務めていたパトリック・ヘッドが共同で設立したチームが現在のウイリアムズだ。今や600人もの従業員を抱えるウイリアムズだが、参戦当初のスタッフは17人と小所帯でのスタートだった。

 ウイリアムズは、設立翌年となる78年シーズンをヘッド設計によるチーム初の自作マシンFW06で戦うと、翌79年にはグラウンドエフェクトカーのFW07を投入。第9戦イギリスでチーム初勝利を挙げ、現在に至るまでに積み上げられた114の勝ち星の第一歩を踏み出した。そして翌80年、アラン・ジョーンズがブラバムのネルソン・ピケとの王座争いを制してチャンピオンに輝くとともに、チームも初のコンストラクターズタイトルを獲得する。

 その後も、優勝とタイトル数を伸ばしていき83年最終戦~87年シーズンにはホンダV6ターボエンジンを搭載。86年には交通事故によりチーム代表のウイリアムズが下半身不随の重症を負って車椅子生活を余儀なくされてしまうも、コンストラクターズタイトルを獲得し、87年はピケとともにダブルタイトルを手にする。

 88年以降はホンダエンジンを失い、黄金期のマクラーレン・ホンダに押される形となってしまうが、90年に若き日のエイドリアン・ニューエイをチームに迎え入れると、91年はマクラーレンを脅かすほどの存在感を発揮。92年にはアクティブサスペンションなどの新たなデバイスでシーズンを席巻し、ナイジェル・マンセルが悲願のチャンピオンを獲得するとともに、チームも5度目のコンストラクターズタイトルを手にした。

 その後のシーズンでもウイリアムズは存在感を発揮し続けるが、97年のジャック・ビルヌーブ戴冠とともにコンストラクターズ選手権を制して以降のタイトル獲得はなし。2000年代後半に入るとタイトル争いからも遠ざかってしまう。11年シーズンはランキング9位に沈み、チーム設立以来の“ワーストイヤー”となるなど屈辱も味わったが、12年のスペインGPでは8年ぶりとなる優勝をパストール・マルドナドが達成。ここまでに積み上げた114勝は、フェラーリの221勝、マクラーレンの182勝に次ぐ歴代3位の記録だ。

 ただ、コンスタントに戦闘力を発揮した12年シーズンを終えて迎えた今シーズンはまたしても低迷。マシンのパフォーマンス不足に苦しみ第7戦終了時点で未だ無得点と、11年よりも厳しい展開となっている。とはいえ、カナダGPでは雨まじりの難しいコンディションのなか新人バルテッリ・ボッタスが予選3位を獲得し、チームに明るいニュースをもたらした。

 チームの共同設立者であるヘッドがF1部門から手を引き、フランク・ウイリアムズの娘であるクレア・ウイリアムズがチームの副代表に就くなど、組織としても過渡期にある現在のウイリアムズ。参戦600戦という節目を祝う地元イギリスのレースで、まずは今季初のポイントを獲得し、名門復活に向けて弾みをつけたいところだ。

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