21日、鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久第5戦のレース1でクラッシュ、命を落とすことになってしまったOSAMU。ともにレースを戦った仲間や、後輩思いでもあったOSAMUにチャンスをもらったドライバーを中心に、多くの悲しみの声が上がっている。
妻と娘の名前からとった『R.F.LeyJun』というチームを立ち上げ、国内でさまざまなレースに参戦し、モータースポーツを愛したOSAMU。事故死の報が伝わると、本山哲をはじめ多くのドライバーが死を悼むコメントをブログやTwitter、Facebookに残した。
また、玉中哲二などともにレースを戦った経験もあるドライバーも「死ぬのはまだ早いだろうって……」とブログ(http://ameblo.jp/team-mach/)に綴り、「寂しいわぁ仲間が居なくなるって」と同世代の仲間の死を悼んだ。
OSAMUはまた、自らチームを率いレースに参戦する傍ら、多くのドライバーを育てた実績ももつ。OSAMUが亡くなったスーパー耐久第5戦にも参戦、その週末WTCCも戦っていた吉本大樹もそのひとり。2004年に吉本はJGTCでLEYJUNダンロップ320Rを駆り大活躍。頭角を現し、その年ヨーロッパに渡り、翌年GP2にステップアップした。
そんな吉本は、月曜日に鈴鹿で行われたOSAMUの葬儀にも参加。「とっても穏やかな顔で少し微笑みながら眠ってらっしゃいました。きちんと最後のご挨拶ができて良かったです」とブログ(http://ameblo.jp/yoshimoto-hiroki/)に綴った。
「修さんは僕を初めてGTに乗せてくれた方です。ヨーロッパで走っている時もスポンサードをして下さっていました。とてもお世話になりました。(中略)自分にとって、GTデビューを与えて頂き、いつでもすぐに使い物になるということを証明する場を与えてくれた恩人です」
「その修さんが大好きだったレースで亡くなってしまった。大好きだからこそレースで亡くなってほしくなかった。巻き戻しがきかないのだから、我々レース業界は修さんの命を無駄にしない様、さらなる安全対策に努める必要があります。修さん、本当にありがとうございました、またいつかあっちで組んでレースしましょう」
また、フォーミュラ・ニッポンにも自チームで参戦していたOSAMU。1999年には、当時頭角を現していたピーター・ダンブレックを起用し、ダンブレックはその期待に応え大活躍をみせていた。
ダンブレックはTwitterで、「僕のフォーミュラ・ニッポン時代のチームボスだったOSAMUサンが亡くなったという報せをうけた。本当に残念だ。彼の家族に祈りを捧げたい」とツイートしている。