レース後、トレルイエは星野一義監督と並んで優勝&チャンピオン獲得会見に臨んだ。2001年に全日本F3チャンピオンとなり、翌年にFNデビュー、2003年からインパルで走ってその素晴らしいスピードを見せていた彼にとっては遅すぎる初戴冠ともいえた。

 星野監督はなかなか王座に手が届かないトレルイエに対し、「1位と2位以外はほとんどリタイアじゃないか。もっと安定して走ればチャンピオンになれる。85パーセントの力でやればいいんだ」という、少々“らしくない”助言をしていたと語った。確かにインパル加入から3シーズンの間のトレルイエはレースを無得点で終えることがほぼ2回に1回あり、それが王座を遠ざける要因になっていた。

 しかしこの年のトレルイエは違った。これで8戦4勝、表彰台獲得7回、残る1戦(7位)もトップ同一周回で完走しており、ここまで全戦“完全完走”での王座獲得だ。シャシーとエンジンが新しくなり、しかも人車にタフな決勝300kmの時代、このもてぎ戦以外にも完走台数が半分近くまで落ち込むレースが何度かあったなかで、トレルイエは以前の弱点を克服する安定感を見せていたのだ。

 そして今回の第8戦もてぎでも、シーズン最低の完走台数となった厳しい戦いのなかをしっかり走りきって優勝。星野監督の薫陶を受けて、速くて強い“ニュー・トレルイエ”が生まれたことを象徴する勝ち方であり、王座決定の仕方であった。

 会見でトレルイエは感情を抑えきれず涙を流した。当年のみならず、歴代のチームスタッフたちへの感謝も述べながらの男泣き。大願成就を果たした彼のその姿は大きな感動を呼ぶものだった。星野監督の目にも光るものが……。

 実はトレルイエ、人前ではあまり使わなかったが、この頃には日本語も相当な腕前になっていた。会見後、涙顔から笑顔へと転じた彼に日本語で喜びを語ってもらった。

「今日のレースは本当に難しかった。クルマは本当に良かった。リカルド(ディビラ氏、当時の担当エンジニア)は本当にいい仕事をした。私は本当に嬉しい。(ファンの)みなさま、本当にありがとうございます。(チームのみんな)あなたの仕事は本当に良かった。ありがとう!」

 星野監督が「日本人以上に日本人らしく、人間として尊敬できる」とも評するフランス生まれの侍、ブノワ・トレルイエ。彼が悲願の頂点を極めたメモリアルレース、2006年FN第8戦もてぎは感動の極みの一戦でもあった。

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