見事、二度目のチャンピオンの座を手中に収めた山本はレース後の会見で「ガスリーと組んだ去年がすごくつらかった」と語った。
所属するチーム無限は2010年からチームとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦。これまでのほとんどが1台体制で、2台体制として機能しはじめたのは去年のことだ。そのチームメイトとしてやってきたのが、現F1ドライバーのガスリーだった。
しかし、この体制が山本の歯車を少しずつ狂わしていく。
「ピエールは当時、GP2でタイトルを獲って日本に来ました。いくらそれがすごい成績であっても、自分のほうが日本で戦ってきた経験も長いし、タイトルも獲っている。だからどこかで自信と、彼に負けるわけにはいかないという気持ちが当然ありました。その気持ちのおかげでモチベーションを上げられた部分もあった。でも、それ以上に彼を意識しすぎて見失ってしまった部分があったのも事実です」
開幕戦はガスリーの前でチェッカーを受けた。しかし第2戦岡山のレース2以降、決勝レースのリザルトでガスリーの前に出ることはなかった。
17年シーズン、スーパーフォーミュラに参戦していたホンダのドライバーのなかで、タイトル獲得経験があるのは山本だけだった。5年前のタイトル獲得以降、少しずつ自分のなかに芽生えた自覚とプライド。それはガスリーというライバルを目の前にして逆に山本のメンタルを崩した。意識しすぎるあまり、気持ちの切り替えもうまくできなくなっていた。
「僕は彼とだけレースをやっているわけではなかった。彼に勝つことで得られることよりも、もっと別のところに視野を広げないといけなかったんです。でも、絶対に彼に負けちゃいけない、彼の前に行かないといけないという気持ちがずっとあった。その思いが強くなればなるほど、逆にピエールは好成績を残していったんです。正直やられちゃっていましたね。だからと言って、気持ちを切り替えてレースを純粋に楽しもうという思いに持って行くこともできなかった」
海外からやってきた20歳そこそこのチームメイトが自分とは対照的に好成績を収めていく現実……。ガスリーの好調を横目にしながら何かに逃げたい、何かを変えないといけないという衝動にもかられた。ガスリーをサポートしているフィジオが気になって、メンタルトレーナーに興味を持ったこともあったという。
「ウイダーさん経由で相談したこともありましたよ。何か役に立つのかなと思って。もっと気持ちに余裕を持ってレースができるかもしれないので、興味はありました。でも僕の場合はそれを聞いてしまうと、言われたことはちゃんとやらないといけないと考えすぎてうまくいかないかもしれないとも考えていた」
結局、メンタルトレーナーをつけることはなく、ほかに何か打開策はないかと探し続けたが、一度噛み合わなくなった歯車を元に戻すことはできなかった。そうした結果、17年シーズンは「もっともつらい1年」となってしまったのだ。しかし、この敗北は「必要だった負け」と山本は位置付ける。
「去年の結果だけを見ると開幕戦以外はすべて負けていたし、これは言い訳のしようがない。結果がすべての世界なので彼より劣っていたというのが答え。でもそれによって何かを変えないとこの先がないと思えたのも事実です。負けたことが良かったとは思わないけど、あれほどまでボロボロに負けたことで自分を変えられた。過去勝ったことよりも負けたことのほうが圧倒的に多いけど、過去のどの負けよりも去年味わった負けは自分を見つめ直すきっかけになったと思います」
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12月28日発売のautosport No.1497では、ガスリーに敗れた山本がたどり着いた“答え”、そしてスーパーフォーミュラ、スーパーGTのWタイトル獲得で近づいた世界への扉についても心境を明かしている。