F1 チーム詳細

F1 | ROKiTウイリアムズ・レーシング 2020年

ROKiTウイリアムズ・レーシング

イギリス

●チーム本拠地:イギリス・グローブ
●デビュー:1975年第1戦アルゼンチンGP
●活動年:1972年~
●出走数:744
●勝利数:114(初優勝:1979年第9戦イギリスGP/最新優勝:2012年第5戦スペインGP)
●PP獲得数:128(初PP:1979年第9戦イギリスGP/最新PP:2014年第8戦オーストリアGP)
●コンストラクターズタイトル:9(1980~81、86~87、92~94、96~97年)
●ドライバーズタイトル:7(1980、82、87、92~93、96~97年)

2019年F1成績
●PP:0回
●優勝:0回
●FL:0回
●表彰台獲得率:0%
●入賞率:2.38%
●完走率:90.47%

●主要チームスタッフ:
フランク・ウイリアムズ(チーム代表)
クレア・ウイリアムズ(副チーム代表)
マイク・オドリスコル(グループCEO)
ダグ・ラファーティ(チーフ・ファイナンシャルオフィサー)
マーク・ビドル(ジェネラルカウンシル)

■ウイリアムズ プロフィール

 マクラーレンと双璧を成す、英国の名門。トータルのF1出走数ではおよばないものの、コンストラクターズ王座の獲得回数はマクラーレンをひとつ上回る9で、フェラーリ(16回)に次ぐ歴代2位を誇る(2019年終了時点)。

 また、参戦開始以来オーナーシップの交代がないという意味では、独立系チームとして他の追随を許さない。

 創設者フランク・ウイリアムズはレーシングドライバーを志した時期もあったが、早くに自らの才能に見切りをつけマネージメント業に転向。24歳を迎える1966年、『フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズ』を創業した。この『第1次』ウイリアムズは当時許されていたカスタマーシャシーで、69年に下級フォーミュラからF1進出。やがてシャシーを自製するなどもしたが、1勝も挙げることなく76年にカナダの大富豪ウォルター・ウルフに株式の60%買収を受ける。

 翌77年にフランクは株式のすべてを手放してチームを去り、行動をともにしたエンジニアのパトリック・ヘッドと共同で新会社『ウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリング』を立ち上げた(この際の出資比率はウイリアムズが70、ヘッドが30%)。これがいまのウイリアムズの第一歩となり、77年のカスタマーシャシー参戦を経て、翌78年からシャシーの自製を開始する。

 ヘッド門下の技術陣にはのちの著名エンジニアたちがそろい、自製2年目の第9戦にクレイ・レガツォーニのドライブで早くも初優勝。翌80年には初のコンストラクターズ王座に輝くとともに、アラン・ジョーンズをドライバーズタイトルにも導く。81年コンストラクターズ選手権連覇。82年はF1に到来したターボ時代の猛威にさらされつつも、自然吸気(NA)のコスワースでケケ・ロズベルグをドライバーズ王座に就けた。

 翌83年シーズン中の交渉で、復帰1年目のホンダからターボエンジンの供給契約を取りつけ最終戦のみで使用。84年の第9戦ダラス開催で、ホンダとのパートナーシップの初勝利とした。

 86年3月、フランクは移動中の自動車事故で脊椎損傷を負って、以後車椅子での生活を強いられる。長く不在の時期があったが、チームはこの年のコンストラクターズ王座を獲得し、ホンダにはチャンピオンエンジンの称号をもたらした。87年はネルソン・ピケのドライバーズ王座と2冠、だが同年限りでホンダとの契約は打ち切られた。

 88年をカスタマーエンジンの『ジャッド』NAで過ごし、ターボ禁止となった89年からルノーを新たなパートナーに迎え入れる。90年には当時まだ新進気鋭だった空力エンジニア、エイドリアン・ニューウェイを獲得。ヘッドの元で、真の一流デザイナーに鍛え上げた。

 91年にギヤボックスをセミオートマティック化、アクティブサスペンション、トラクションコントロールと長年開発を続けてきた先鋭技術を92年型で結集させてマクラーレン・ホンダからナイジェル・マンセルのドライバーズ王座と合わせて2冠を奪回。93年を最後にF1でセミオートマを除くハイテクデバイスは禁止となったが、黄金期は続く。

 93年アラン・プロスト、96年デイモン・ヒル、97年ジャック・ビルヌーブをドライバーズ王座に輩出。コンストラクターズ王座は93、94、96、97年と次々に制覇した。

 だが96年終盤のニューウェイ離脱と、97年を最後とするルノーのワークス撤退が風向きを変える。

 98、99年はルノー・ベースのカスタマーエンジン供給を受け、いずれも未勝利でコンストラクターランキングは3、5位と下降。そして、00年から新たに手を結んだのがBMWだ。

 BMW復帰2年目となった01年にはコンビ初勝利を挙げ、計4勝。02、03年はコンストラクターズランキング2位を続け、チームの勢いは回復されたかに見えた。だがチームに支配権を行使したいBMWとの関係は次第に不穏となり、05年に決裂。またも自動車メーカーのワークス待遇を失い、ここから長い低迷期に入る。

 06年はコスワース搭載、07年からは中嶋一貴の起用を受け入れて、トヨタのセカンドチームとしてエンジン供給がされた。中嶋は当初リザーブドライバーで、07年の最終戦でレースデビューを果たすと、08年から正式にレギュラー昇格。以後、トヨタがF1を撤退する09年まで在籍した。

 10、11年はコスワース、12年からはルノーとエンジン契約。かつてのワークス待遇ではないものの、12年の第5戦スペインではパストール・マルドナドがポール・トゥ・ウインを果たして、BMW時代の04年以来となる優勝を遂げる。だが単発で終わり、F1の14年パワーユニット(PU)規定導入とともに、メルセデスにサプライヤーを切り換えた。

 この策は当たり14、15年とコンストラクターズランキングを3位まで回復させるが、勝利には手が届かないまま、その後は2年連続の5位とじり貧。打開しようと18年型でクルマの設計コンセプトを一新させるが、これが完全な失敗に終わり、その18年からは2年連続でコンストラクターズ選手権最下位に沈む。

 2020年は名門に訪れし、かつてない苦境からの脱出なるか。

公式URL:
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