自動車レースの最高峰であるF1世界選手権。2012年10月に鈴鹿で行なわれた日本グランプリにおいて、小林可夢偉は鈴木亜久里(1990年)、佐藤琢磨(2004年)に続き日本人として3人目となる3位表彰台を獲得した。レース終盤、迫りくる世界王者ジェンソン・バトンをおさえて、実力でもぎ取った興奮の展開に鈴鹿は揺れ、日本中がわいた。
 ところが、所属チームのザウバーはこの12年シーズン限りで可夢偉を放出。その速さがパドックで高い評価を得ていたにもかかわらず、可夢偉は突如F1のシートを失ってしまった。あの年、あの歓喜の日本GPのあと、いったい可夢偉の身に何が起こっていたのか? autosport本誌No.1532の特集では、当時の内情を可夢偉のマネージャーを務める船田力氏が自ら明かしている。ザウバーのシート喪失、『KAMUI SUPPORT』の発足経緯、ケータハムでのF1復帰(14年)に至るまで、いまだから明かせる真実とは──

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