このとき、琢磨はインディカーの新人でこのとき3番手のエド・ジョーンズが率いる集団の後方につけていた。エドのペースが上がらなかった為、トップ2のセバスチャン・ブールデとシモン・パジェノーははるか前方に逃げてしまっていた。やがて全ドライバーがピットストップを行うと、琢磨はトップに浮上。そのまま数周したところでNo.26のマシーンもピットに舞い戻った。次のスティントを琢磨は4番手で走行していた。やがて徐々にパワーに接近していったが、ほどなくオーストラリア人ドライバーはピットストップを行った。

 これで3番手となった琢磨は、残り28周となったところでピットストップを敢行。このとき後続のドライバーに対しては十分なマージンを有していたが、ここで右フロント・ホイールの交換に手間取ってしまう。「僕たちには十分な余裕がありましたが、どうやらエアガンに問題があったようです」

 結局、琢磨は5番手となってコースに復帰。やがてパワーがスローダウンすると4番手に浮上した。けれども、後方からハンター-レイが猛追を開始。最終ラップの最終コーナーでチームメイトの先行を許した琢磨は0.0528秒差で5位に終わった。「もちろん表彰台に上れれば嬉しかったと思いますが、苦しい状況のなかでメカニックたちは本当に素晴らしい働きをしてくれました。最終ラップに入ったとき、あと6秒分のプッシュ・トゥ・パスが残っているとダッシュボードは伝えていました。これは最後のストレートにとっておくつもりでしたが、その1周前にあるコーナーでP2Pボタンを押したところ、なにか想定外のことが起きて残り時間がゼロになってしまったのです。(のちにラスト10秒は何かトラブルがあり、P2Pのハイブーストが全く掛かっていなかったことが判明。HPDは原因究明に努めている)このため最終コーナーでライアンに仕留められてしまいましたが、これはあくまでもレースの結果なので気にしていません。そもそも、彼が今週末してくれたことを考えれば、僕が順位を譲るのは当然だったのかもしれません」

「でも、僕は5番手に満足しています。こうした素晴らしいスタートが僕たちには必要だったのです。これはチーム・スタッフ全員が頑張った結果であり、これからの2017年シーズンを本当に楽しみにしているところです」

 次戦は琢磨が唯一インディカー・シリーズで優勝した経験を持つロングビーチが舞台。実は、1977年に開催された2回目のF1ロングビーチGPでマイケルの父であるマリオが優勝した経験を有しており、チームにとっては験のいいサーキットでもある。いっぽう、チームはバーバー・モータースポーツ・パークとソノマでテストを実施する予定だ。

written by Marcus Simmons

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