ドライバーラインナップも発表され、いよいよマクラーレン・ホンダ復活へカウントダウン。F1史に燦然と輝くマクラーレン・ホンダの名車を、写真とともに振り返る短期連載。その最終回は、マクラーレン・ホンダ最後のマシンとなったMP4/7A。
1992年開幕戦、南アフリカGP。マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナは、レースを3位でフィニッシュする。
このレースを戦ったマクラーレン・ホンダのマシンは、MP4/6Bという名称が付けられている。アップデートはされているものの、実質的には前年のMP4/6そのもの。1992年用の新型車は完成が遅れ、開幕に間に合わなかったために、このMP4/6Bが投入されたのである。
※マクラーレン・ホンダMP4/6B:写真はクリックで拡大します。
「そんな状況でも3位ならばすごいじゃないか」
そう思われる方もいらっしゃるだろうが、先頭から34秒も離されての3位。これまで優位を誇り、シーズンを4連覇していたマクラーレン・ホンダからしてみれば、惨敗と言える結果だった。
この年は、ウイリアムズ・ルノーFW14Bが圧倒的な強さを誇った。前年戦った、エイドリアン・ニューウェイ作のFW14は、非常に空力性能に優れていた。その素性の良いFW14を、リ・アクティブサスペンション、トラクションコントロール、継続使用のセミ・オートマチックトランスミッションなど様々な電子デバイスで武装したのが、このFW14Bだった。
FW14Bは予選でも圧倒的な速さを誇る。セナをもってしても、開幕戦では0.741秒、第2戦メキシコGPでは2.445秒も、ナイジェル・マンセルに引き離されてしまう。
※ウイリアムズ・ルノーFW14B:写真はクリックで拡大します。
FW14Bへの対抗策としてマクラーレンは、開幕戦翌日に初走行したばかりの新車を、第3戦ブラジルGPに持ち込むことを決定する。このマシンがMP4/7Aである。セミ・オートマチックトランスミッション搭載、メス型成型のモノコックは、低いながらもハイノーズになっており、マクラーレンとしては初物ずくしだ。
デビューが遅れたのは、エンジンの完成が遅かったことも影響している。Vバンク角を変更したり、開発途中にはV10回帰案も出るなど、エンジンの仕様決定までに二転三転したため、RA122E/Bの完成は遅れに遅れたのだ。
マクラーレンはブラジルGPに、3台のMP4/7Aを持ち込んだ。しかし、いかんせんまだ熟成不足。そのため、開幕2戦を戦ったMP4/6Bも3台持ち込み、なんと合計6台の大物量作戦を敢行する。この時のマクラーレンのピットは、人、人、人でごった返していたという。
しかし、予選はマンセルから2.2秒も離された3番手(セナ)。決勝ではさらに悲惨で、デビュー1年に満たないベネトン・フォードのミハエル・シューマッハーや、チーム史上最低のシーズンを過ごしていたフェラーリのジャン・アレジらに次々と交わされてしまい、最終的にはリタイアしてしまう。
結局、ウイリアムズ+マンセルに開幕5連勝の新記録を樹立。しかも、スペインGPこそリカルド・パトレーゼはリタイアしたが、それ意外は全て1-2フィニッシュ。2014年のメルセデスAMGと同等かそれ以上の強さだった。
第6戦モナコGPでも、マンセルがセナに1.1秒の差を付けてポールポジションを獲得、決勝でも大差を付けて先頭を独走する。
しかし、2番手を走っていたセナ+マクラーレンに千載一遇のチャンスが訪れる。78周レースに71周目、マンセルの左リヤホイールにトラブルが発生し、ピットイン。この間、ついにセナが先頭に立つことになるのだ。
タイヤを交換したマンセルは、ここから怒濤の追い上げを見せ、すぐにセナの直後に。ここからが、F1史に残る大デッドヒートの始まりだ。
ペースはマンセルの方が明らかに速い。このレース、マンセルの最速タイムは1分21秒598。予選でのシューマッハー(1分21秒831/6番手)より速いペースで飛んでくるのだ。対するセナのレース中の最速タイムは1分23秒470と、マンセルよりも2秒近く遅い。しかも、セナのタイヤはほぼ使い切った状態のものであり、実際のペースはそれ以上に遅かったはずだ。本来なら太刀打ちできる差ではない。しかし、ここはモナコだ。道幅は狭く、そう簡単には抜けない。マンセルは右に左にマシンを振ってセナにプレッシャーをかけるが、セナは巧みにブロックする。72周目からチェッカーまでの7周は、一時も目を離すことができない、至極のバトル。当時のテレビ中継の、実況を思い出す方も多いだろう。
結果、セナが最後までマンセルを抑え切って優勝。セナも、マンセルも、汗みどろになってマシンを降り、健闘を称え合う。レース後、体力を使い切ったマンセルは、表彰式ではマーシャルに脇を支えられ、シャンパンファイトの途中で地面にへたり込んでしまうという有様だった。
続くカナダGPは、セナが今季初のポールポジションを獲得、ゲルハルト・ベルガーが優勝を果たすなど、MP4/7Aが連勝する。ただ、その後のフランス、イギリス、ドイツはマンセルが3連勝。そして8月16日のハンガリーGPで、マンセルに早々とドライバーズタイトルを決められてしまう。次のベルギーGPでは、コンストラクターズタイトルもウイリアムズに決定。史上稀に見る圧勝劇である。
マクラーレンは当初、アクティブサスペンションなどを搭載したMP4/7Bを搭載させる予定だった。ホンダが主導して開発されていたこのシステムは非常に複雑で、結局実用には至らず、MP4/7Bも登場することはなかった。とはいえ、チームはアクセルペダルの動きを電気信号に変換してエンジンに転送する“ドライブ・バイ・ワイヤ”というシステムを開発して投入。航空機の“フライ・バイ・ワイヤ”というシステムを応用したものだ。これは一定の効果を発揮したが、それでもウイリアムズ・ルノーに対抗できるだけのゲインではなかった。
イタリアGPの金曜日、ホンダは会見を開き、92年限りでF1から撤退することを発表した。発表を聞いたファンやメディアも驚いたが、ホンダの現場スタッフにも発表直前まで知らされていなかったという。セナも発表を受け、日本のテレビカメラを前にホンダへの感謝を述べ、涙を浮かべた。
そのイタリアGPをセナが勝ってホンダ70勝。最後の鈴鹿では特製の“鈴鹿スペシャル”を持ち込んだがリタイア、ベルガーは2位と、優勝にはあと一歩届かなかった。このレース、セナはホンダへの感謝を示す意味も込め、ヘルメットに日の丸を貼った。
マクラーレン・ホンダ最後のレースは、アデレード市街地でのオーストラリアGP。ここでベルガーが劇的な勝利を飾り、ホンダ通算71勝、マクラーレン・ホンダとしては44勝目を挙げた。
あれから23年。伝説のコンビネーション、“マクラーレン・ホンダ”が2015年に復活する。新マクラーレン・ホンダは、我々にどんな感動を与えてくれるのだろうか? フェルナンド・アロンソが言うように、伝説は再現されるのだろうか? その答えを、我々は間もなく知ることになる。
簡単ではないのは百も承知だ。しかし、期待せずにはいられない。それほど、“マクラーレン・ホンダ”という響きは、我々を惹き付けてやまない。
なおマクラーレンMP4/7Aの詳細は、現在発売中の雑誌『GP Car Story Vol.10 McLaren MP4/7A』(http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=7728)に収録されているので、こちらもご覧いただきたい。