長年F1ドクターを務め、F1の安全性向上に多大なる貢献を行ったプロフェッサー・シド・ワトキンスが、12日に亡くなったことがわかった。84歳だった。
ワトキンスは1978年にバーニー・エクレストンからのオファーでF1レースドクターの職に就いた。ワトキンスはF1メディカルチームの責任者を務め、後にF1のセーフティーおよびメディカル部門を率いて、FIAと協力しながらF1のレースやマシンの安全性向上のために尽力してきた。
ワトキンスは、ゲルハルト・ベルガー、マーティン・ドネリー、ミカ・ハッキネン、ルーベンス・バリチェロなど、数多くのドライバーたちの命を救った。
バリチェロはTwitterを通して、次のように記している。
「94年イモラで僕の命を救ってくれたのはシド・ワトキンスだった。一緒にいて楽しく、いつもハッピーな人だった。あなたが僕らドライバーのためにしてくれたことに感謝している。彼の魂が安らかに眠らんことを」
マクラーレンのチェアマン、ロン・デニスは次のようなコメントを発表したとロイターが報じている。
「今日、モーターレーシング界はひとりの偉大な人物を失った。彼はドライバーでもなく、エンジニアでもなく、デザイナーでもない。彼は医師で、長年にわたり、F1の安全性を今日のレベルまで高めるために、誰よりも多くの貢献をしてくれた」
「大勢のドライバーたち、元ドライバーたちが、彼の熟練した慎重な処置のおかげで命を助けられた。それにより、安全性のレベルが大きく向上し、今日のドライバーたちは非常に高い安全レベルの中でレースができる」
ワトキンスは故アイルトン・セナと親しかった。著書「Life at the Limit: Triumph and Tragedy in Formula One」の中で、ワトキンスは、セナが1994年のサンマリノ予選でのロランド・ラッツェンバーガーの死亡事故に非常に動揺していたため、レースに出ないようアドバイスしたと記している。
「全部やめてしまってもいいじゃないか。まだやらなければならないことなんてあるかい? もう3度もワールドチャンピオンになり、最速のドライバーであることを証明している。もうやめて一緒に釣りに行こう」
セナは次のように答え、それがふたりの最後の会話になったという。
「シド、自分ではコントロールできないこともあるんだ。やめることはできない。続けなければ」
F1カメラマンのジェイムズ・モイはTwitterにおいて、「シド・ワトキンスとアイルトン・セナはやっと一緒に釣りに行ける」と記し、ワトキンスの冥福を祈っている。