ホンダのこれまでのレーシングヒストリーを、撮り下ろしの写真と詳細な解説記事で紹介する特設サイト『Honda Racing Gallery』で、ホンダの4輪レース黎明期を支えたマシン、ホンダS800 Racingが紹介されている。

 Honda Racing Galleryでは、ツインリンクもてぎ内の『Honda Collection Hall』に所蔵されているマシンを中心に、『Racing on』、『F1速報』による撮り下ろしの写真と、その当時の時代背景なども踏まえた詳細な解説で紹介している。

 2輪車の世界で確固たる地位を築いていたホンダは、1960年台に4輪自動車史上へと参入。当初企画されたのは、2シーターのスポーツカー『S360』で、市販には至らなかったが、63年10月にはS360の発展型となる『S500』が市場に投入される。その後、64年1月にはS360からバトンを引き継ぐ形で『S600』が発売され、ホンダの実質的な4輪自動車市場への参入モデルとしての看板を背負うことになった。

 S600は発売直後に、第2回日本グランプリに参戦し、1000cc以下のGT-Ⅰクラスでいきなり表彰台を独占。その後、第3回日本グランプリでも1300cc以下のT-Ⅰクラスで優勝を果たした。

 そして66年1月には、S600の後継モデルとして『S800』、通称"エスハチ”が登場。公認取得前の賞典外ではあるものの、船橋サーキットで開催された3月の全日本スポーツカー選手権でレースデビューを果たし総合10位を獲得。正式にGTクラスに参戦した4月の鈴鹿300kmレースでは、格上クラスのマシンと張り合い総合3位を獲得する。

 一方この時期、トヨタは1300cc以下のGT-Ⅰクラスにトヨタ・スポーツ800(通称"ヨタハチ”)を投入しており、ホンダのエスハチはこのクラスに名乗りを上げる形に。同じ小型のライトウェイトスポーツカーながら、水冷直列4気筒DOHCのエスハチと空冷水平対向OHV2気筒のヨタハチという好対照な構造を持っている両者は今なお"永遠のライバル”として語り継がれている。当初は、デビュー時期の早かったヨタハチがリードしていたが、エスハチは開発が進むにつれてGT-Ⅰクラスの主導権を握っていく。

 1967年には、1月と3月に行なわれた船橋サーキットでの2レースでエスハチがクラス上位を独占。5月の第4回日本グランプリでは、GT-Ⅰクラスの車両はすべてエスハチという、「エスハチのライバルはエスハチ」ともいえる状態に。GT-Ⅱクラスを寡占化していたフェアレディ2000とともに、その後何年かのGTカークラスを牽引していくことになった。

 今回Honda Racing Galleryで紹介されているのは、上級クラスの車両を相手に総合順位でどこまで迫れるかが注目されていた当時、68年の鈴鹿鹿12時間レースで総合3位に食い込む快挙を見せた黄色のゼッケン25の車両。トヨタワークスが自信を持って送り込んだ2台のトヨタ7に次ぐ3位を獲得し、場内にはどよめきが起こったという。

 なお、独立したシャシーを持つエスハチの車体構造は、オリジナルボディを降ろした後、カスタムメイドのボディを架装するレーシングカー作りの素材としても広く活用され、黎明期の日本モータースポーツ界においてレーシングコンストラクターを生み出し、育てるという役割も担うことになった。そんなホンダS800の威容を、Honda Racing Galleryでチェックしよう。

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