VivaC team TSUCHIYA
レースレポート
2015SUPER GT Rd.6 スポーツランド菅生

■日時:2015年9月19-20日
■場所:スポーツランド菅生
■監督:土屋春雄
■チーム:VivaC team TSUCHIYA
■車両名:VivaC 86 MC
■ゼッケン:25
■ドライバー:土屋武士/松井孝允
■リザルト:予選2位/決勝1位

職人魂<チームワーク優先
一番良い結果を出すための選択。
職人魂炸裂! レース屋集団というスパイスは、チーム最大の武器
されど、行き過ぎた情熱は最大の弱点ともなる。

 前回、前々回と私、土屋武士の苦悩を打ち明けさせていただきましたが、今年もっとも優勝のチャンスがあると考えられている菅生戦を前に、さらに覚悟を決めてチームの環境整備をしました。これはイコール、春雄監督の行動を「制限する」ということです。次から次に浮かび上がる監督のアイデアを封印し、マシンには手を加えずに今ある現状のマシンのパフォーマンスを最大限引き出すことを優先。また、チームスタッフの働く環境やサーキットに入ってからの雰囲気を整備していくということに重点を置き準備をしました。タイ戦まではテストのデータを元にどちらかというと「武士より」の運営でしたが、それ以降のレースでは「監督より」で進んできたことで、私の危機管理センサーが振り切り寸前になったことが決意するきっかけになりました(前回までのレポートを読んでください(笑))。具体的にはタイラウンドの足まわりに戻すというところから軌道修正。これもたくさんの皆さんの期待に応えるため、一番良い結果を出すために、チームオーナーとして“最善のチョイス”をしたまで。それももっともシンプルな選択でした。

 これまではマシンに手を施さなければならない箇所がたくさんありましたが、その対策品もデリバリーされてきたことで、基本的に他のマザーシャーシー86(MC86)と同じ仕様で持ち込むことにしました。“職人”としては、他と同じことをすることが死ぬほど嫌いなわけなので、監督は面白くなさそうでしたが(苦笑)、その職人魂が炸裂する場面はここ、菅生戦では無いという判断。まずこの一戦。何を優先にしたらいいのか?を突き詰めた結果です。そしてそれはさっそく功をなし、ガレージでの作業は非常にスムースに行き、私のストレスも大分減少しました。やっぱりチームのみんながストレスなく動ける環境でないとミスもでるし楽しくない。どんなに素晴らしい技術があったとしても、扱っている人間がストレスを感じてしまえば宝の持ち腐れになると思っています。

 私が掲げているモットーの一つに「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」というものがあります。学生時代ラガーマンだったのですが、この言葉がすごく好きでチームをまとめていくうえでいつも意識していることです。これが基本。今回はみんなで優勝という一つの目標に向けて準備ができた感触があって、ようやくレースを戦う状態になったかなという感触がありました。もちろん、ここまで出来の悪いマシンをしっかり走れるように多くの箇所を改造し対策してくれたのは、職人である監督のなせる技ということは紛れもない事実。ハードを扱うスペシャリストがいてこそ、レース屋集団は存在していられるということも忘れてはいません。でもそれがチームワークを崩してしまう要素になるのであれば、徹底的に潰さなければならないということも事実。

 ハードとソフト、機械と人間、プライドと思いやり……相反するものが上手に融合していかなければ、結果はついてこない。相反する要素を融合させることは死ぬ気で取り掛からないとすぐに崩壊します。結合すれば最強。つまり、崩壊も最強も紙一重。それでもこのトライアルは私がやらなくてはならないもの。次世代に職人の技術や取り組む姿勢をつながなければ、本質を見失った世界になってしまう。とにもかくにも頑固一徹な職人にそのことを理解し納得してもらうことが、今後のチーム運営をしていくためにも絶対に必要なことなんだと、自身にも言い聞かせ、何としてでもやり遂げる覚悟でサーキット入りしました。

マシントラブルを抱えていたとしても、ドライバーがやるべきことは変わらない。最高のパフォーマンスを発揮するのみ

 そんなガレージでの苦しみはさておき、サーキットに入ってからは非常にリラックスした雰囲気で設営が進みました。これまでは設営日当日にマシンを完成させるという流れだったので、夜、ホテルに入っても今度はエンジニアとして、明日からの走行の準備をするという状況で、いつも週末はストレスが MAXな状態でした。それに比べ今回は菅生テストの事前データもあり、金曜の時点で決勝日の準備もバッチリ。それだけでも“いける”っていう感触がありました。フリー走行が始まると、マシンは狙った通りのバランスで走り始め最初のアウティングで1分21秒124のタイムでトップタイムを刻み、最終的に2番手のタイムという好発進。

 しかし前回の鈴鹿レースで出た“勝手にシフトアップ”のトラブルがまたもや出てしまいました。出ない周もあったり、頻繁に出てしまう周もあったりという感じで非常にやっかいなヤツです。ガレージでもかなりの手直しをしてきたにも関わらず症状が出てしまったので、ここは冷静にトラブルを受け入れて、頭を切り替えて走ることにしました。一応、現場で出来ることとしてコンピューター系を交換して走ったりしてみましたがトラブルは改善せず。ただクルマのバランスには満足していたので、決勝セットアップを確認し走行を終了。私も松井もタイム的には上位タイムで、今回はかなり戦える感触を得ることもできました。

 予選はQ1が松井、Q2に私が走りました。マシンは持ち込みからフロントの車高を0.5mmだけ下げた状態のままで予選スタート。トラブルだけが心配だったのですが、松井には「ドライバーなんだから、こいつをうまくドライブしてきて」とだけ伝えました。「アタック中に出たらどうしよう」という不安は当然あるのですが、その中でベストのドライビングをしてくるのがプロの仕事。そんな状況でしたが松井はしっかり期待に応え1分19秒328の2番手タイムを刻んできました。もちろんシフトアップするトラブルは出ていましたが、運よくロスにはほとんどなりませんでした。そしてQ2。同じく勝手にシフトアップはしましたが、ロスは最小限に留めることができ、1分19秒408 のタイムで2番手のグリッドを獲得できました。少々タイヤのピークと内圧がズレてしまったことと、最終コーナーが上手くいかなかったロスがありまとめきれませんでした。でも前回鈴鹿の時と比べたらノリノリで走れたので良しとします。結構楽しく走れました(笑)

 しかし、ここ菅生で松井にタイムで負けたのが悔しい!ここは私自身がとても得意なサーキット。負ける気はしなかったのに……。それだけ松井のドライビングが成長しているということなのですが、やはり自分のドライバーとしてのパフォーマンスをもっともっと上げなきゃいけないなと、思った次第。次回のレースまでに私のドライバーとしての課題が出来ましたね~。まだまだ負けてられません!

 予選後は、トラブルは受け入れつつも最後のあがきとばかりに、“勝手にシフトアップトラブル”の原因究明をしたのですが、そもそもガレージでしっかりやってきたのにそんなにすぐ治るわけがありません。運よくトラブルが出なければ、かなりいいレースをできるという感触はあったので、とにかくリラックスして、レースへの準備は怠りなく進めました。

スタート直後に無線の電源OFF。それでも事前準備とあうんの呼吸でベストなピットイン

 そして迎えた決勝日。朝のフリー走行では特に何もせず確認程度の走行。今回は色々なレース展開をイメージし準備してきたので、実際のレースでどんな状況でも対応できるという余裕がありました。スタートは松井。前と後ろはブリヂストンタイヤなので、どういうパフォーマンスか分からない状況でしたが、松井は「抜いてきます」と心強いコメントを残していました。作戦として、まずは3番手の#31 プリウスに抜かれないように、そして#55 CR-Zを抜き、できるだけ差を作って長く走って帰ってくるという戦略でした。スタートは温まりの面でブリヂストンタイヤ勢の方が良く、防戦一方でしたが何とか#31 プリウスをおさえることに成功。そしてタイヤも温まった7周目の1コーナーで#55 CR-Zのインをズバッとさしてトップを奪取。次の周には#31 プリウスも#55 CR-Zを抜いて2番手に。ここからはマッチレースになる様相でした。

 ペースは松井の方が少しいいものの、500クラスに抜かれるタイミングなどでくっついたり離れたり。でもタイヤのタレは我々の方が少なそうな感じで、徐々に離せていけそうだと思った24周目、500クラスのクラッシュがありセーフティーカー(SC)が入ってしまいました。ここで大問題が発生……。スタート直後に“ブチッ”という音とともに無線の電源が落ちてしまっていて、松井とチーム間の無線が全く使用できなかったのです。こんなSCの時にはチームからの指示でピットに入るかどうかを決めるのに、それができないというのが一大事でした。

 でも事前ミーティングで「〇〇周目以降にSCが出たらピットイン。タイヤは○○交換で、給油は○○秒」というのをやっておいたので松井ならおそらく大丈夫だろう……とは思っていましたが、それでもいくらかは不安があります。そこでホワイトボードに「もしOPEN」とだけ書いてヘルメットを被った私がピットサインを出しました。このときは「何だかカートレースみたいだな~」なんて呑気に笑っていましたが(笑)そしてピットに入ってOK な、“PIT OPEN”のサインが出ると500も300もほぼ全車がピットになだれ込んできました。その中に松井も入ってきてくれて一安心。作業は左側2輪の交換でピットタイムを短縮し順調にピットアウト。SCで順位がどうなるか分からなかったのですが、無事にトップで戻ることができました。

 タイヤ無交換をした#88 ランボルギーニが2番手で真後ろに来ましたが、すぐに引き離すことができました。#31 プリウスは15秒後ろの3番手ということで、出来るだけこの差を広げることを意識して走行。勝手にシフトアップするトラブルは走るごとに酷くなる状況だったので、何が起こるか分からないという不安がありペースを緩めるわけにはいかない状況でした。タイヤ2輪交換ということもあり、残り50周近くをマネージしながら走ることに集中しました。

 この菅生は体力的にきついサーキットなので、松井にたくさん走ってもらうためにスタートを担ってもらったのですが、予想外に私の番が早まったので心情は「なんてこった」というのが本音(笑)でしたが、その後もいいペースで走ることが出来、どんどんギャップも広がりました。残り周回はとにかく大事に集中力を切らさないように走行。最終的には16秒差というぶっちぎりで優勝のチェッカーを受けることが出来ました。

喜び爆発!全員で勝ち取った優勝。これまで受けたチェッカーで一番嬉しいチェッカー。全ての人々に感謝したい

 チェッカーを受けた瞬間、今までに感じたことのない感情が湧き上がってきて、まさに喜びが爆発!これまでのレースで受けたチェッカーフラッグの中で間違いなく一番嬉しいものでした。産まれたてのマシンをコツコツ育てながら、そして予想をはるかに超える親子喧嘩……もとい、職人のプライドと向き合い、格闘する日々。チームをまとめるうえで、沢山の苦悩と試練が、これでもかこれでもかと止まることなく私にのしかかりました。

 その私を支えてくれたメカニックやスタッフ、スポンサー、そしてパートナーとして一緒にチームを支えてくれているみんなや、応援してくれているサムライサポーターズのみんなや、しっかり成長して今回の優勝を手繰り寄せてくれた松井のおかげで、この瞬間を迎えることができたということに本当に感謝の気持ちしかありません。そしてこのチームを創るために、7年以上の時間をただただ見守っていてくれた家族に感謝したいと思います。この7年は全く家族との時間を犠牲にしてしまいました。このことは一生の後悔になると思っています。でもこの瞬間を迎えられたことでほんの少しだけ救われたような気がします。

「情熱さえあればここまで出来る」ということを証明。そしてまた新たな序章が始まる予感

 そして優勝することが出来たことで「町工場で大企業をやっつける」という一つの目標を達成することができたと感じています。今回の直接的なライバルは#55 CR-Zと#31 プリウス。この2台は少なからずメーカーの息がかかっているマシンなので、戦う相手としては望むところでした。今回もデータロガーは一切使用していませんし、未だにセンサー類も取り付けていません。マシンの改造にはコンピューターは一切使っておらず、材料はホームセンターで購入してきて、親父の長年のノウハウとアイデア、それをメカニックのみんなが手作りで製作してきました。

 そのマシンでもしっかりと渡り合うことが出来、結果を残すことができました。資金的にも私自身が数千万の自己資金を投入している状況で、他のチームとは予算的に敵わない中でも「やってやろうぜ」という仲間が集って成し遂げることが出来たと感じています。「情熱さえあればここまでは出来るんだ!」ということを証明できたんじゃないかな、と思います。サムライサポーターズの中にも「私も町工場を営んでいますが、チームつちやの活動は勇気になります!」と言っていただける方が仲間にいます。同じように苦悩を抱えながらも頑張っている人たちの活力になれれば本望。これからも色あせることなく、強く熱い志をもってこの活動を続けていきたいと思います。でも正直、この優勝で一区切りがついたかな、と。「最強プライベーターになる」という果てしなく遠く感じるゴールまでの物語の、その第1章の目的地に辿り着いた達成感を感じることができました。

新序章の前に、まずは次戦、オートポリスへ集中!

 そんなやり切った感あふれたチェッカーの後は「こんな嬉しい優勝はもうないだろうから、ドライバーは引退しようかな……」と半分本気で考えました。でもこのレポートを書いている今は、もうすでに次のレースまでの段取りや問題の解決などに追われてしまっていて感傷に浸る暇もなく日々を過ごしています。

 まずは次戦。オートポリスも我々の MC86 にはチャンスがあるサーキット。そこに標準を合わせつつ、チームオーナーとしては来季を戦うための体制の準備とスポンサー活動を並行していかなくてはなりません。この優勝を、ただの“素晴らしい思い出”にしないように、昭和臭ただよう面倒くさい職人が集まったレーシングチームを、若い世代に技術とスピリットを継承する場として残すためにも、まだまだ私のチャレンジは続いていきます。本当はこんなしんどいことはもう辞めたいんですけどね(笑)昭和臭ただよう面倒くさい職人が集うレース屋の 2015 年の挑戦も、残すはあと2戦。引き続き、熱い応援をよろしくお願いします!!

【松井孝允コメント】
今回は事前にテストが出来ていたので、テストで得た反省点をしっかり修正して乗り込むことが出来ました。フリー走行では前回から症状が出ていた、勝手にシフトアップするというトラブルは直っていませんでしたが、持ち込みのセットアップが良くすぐに車のバランスチェックは終わり、早めに交代することで予選に向けて走り込むことが出来ました。前回の鈴鹿からこの車の走らせ方を少しずつ理解することが出来、菅生でも鈴鹿で得た走り方をしたらタイムが良かったので、予選に向けての不安はありませんでした。唯一、予選はコースが短いのでクリアラップが取れるかだけが不安でしたが、すべて大丈夫というわけではありませんでしたが、問題なくクリア出来たのでほっとしました。

日曜日のフリー走行ではロングランを想定して走ったのですが、すごくペースが良かったのでますます決勝に向けては自信が持てました。

決勝は今回もスタートドライバーを務めさせてもらいました。周りはJAF-GT勢ということもあり、ストレートで抜かれるという心配はあまりありませんでした。その中でスタート前に無線が使えなくなるトラブルがありましたけど、どうにも出来ないのでチームとの会話は諦めました。スタートして2周は温まりの部分で厳しかった部分はありましたが、その後はタイヤもすごく良く、安定してラップすることが出来ました。そしてコース上でトップになれたことで、あとはとにかく引き離すことだけを考えタイヤをいたわりつつペースを上げました。その中でタイヤのピックアップを経験しました。31号車が近づいてきたときは厳しいレース展開になると思いましたが、タイヤカスの取り方が分かれば問題なくペースを戻すことが出来ました。

途中アクシデントでSCが入り、無線が使えなかったためチームからの指示はピットサインで『もし OPEN』。それを受けてピットが開いたら入ろうと思い準備しました。ピットイン後は経験がたくさんある武士さんなので走ることに関しては安心して見ていました。ただトラブルは抱えたままだったのでそれだけが不安で仕方ありませんでした。最後のチェッカーを受けた時はすごく嬉しかったです。

今まで育ててくれた武士さんと手に入れた優勝は、今までで一番うれしい優勝です。応援してくださった方々に優勝を報告をすることが出来て本当に良かったです。次回のAPまでは少し時間があるので、さらにしっかりと準備して再び結果を出せるようにしていきます。残り2戦も引き続き応援を宜しくお願い致します。

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