フェラーリが2010年にバジェットキャップ制が導入されるならF1から撤退するという声明を発表したことを受け、キミ・ライコネンはフェラーリが存在しないF1など想像できないと語り、チームの姿勢を支持した。
トヨタ、レッドブル、ルノーと同様、フェラーリは、もしバジェットキャップが強行されるなら、2010年のエントリーは提出しないと公言した。
これに関しライコネンは、フェラーリのいないF1を想像するのは難しいと述べると共に、F1が二重構造になるのはF1にとってもファンにとってもいいことではないと主張した。
「フェラーリが存在しないF1のことを考えるのは難しい」とライコネン。
「僕がマクラーレンで走っていた時、マラネロのスクーデリアがベンチマークであり、比較対象となるライバルだった。ここに来てから、フェラーリはひとつのチーム以上の存在であることを知った。伝説であり、そのロードカーとレーシングカーによって永遠の存在となっている」
「僕はエンジンがついた物を使ったレースに昔から情熱を抱いてきた。昔からF1は、コンペティションにおいてもテクノロジーにおいても、モータースポーツの頂点であると考えてきた。しかしもしFIAが用意したようなルールが導入されれば、今日までのF1を想像するのは難しくなるだろう」
「異なる規則に従って製造されたマシンでドライバーたちがコース上で競い合うのを想像することはできない。それはこのスポーツ自体にとってもファンにとってもいいことではないと思う。もしそんなことになったら最悪だ。フェラーリのような企業が他のところでレースをすることを考えるのは理解できる」
一方チームメイトのフェリペ・マッサも、バジェットキャップ制は馬鹿げた制度であるとして、ライコネンの意見に同調している。
「(フェラーリ)社がなぜここまで(の考え)に至ったのか、その動機は理解できる」とマッサ。
「ふたつの速さの選手権、例えばフレキシブルウイングやレブリミッターのないエンジンを使用したマシンが走る選手権にするという構想は馬鹿げている。すでに今年、規則の不安定さによって、僕ら参戦者だけでなく、なによりもファンが大きく混乱することが分かった。2010年に予定されていることが実行されればどうなるのか想像してみてほしい」
「ドライバーにとって、F1においてフェラーリでレースをするというのは夢だ。僕はその夢を実現した。子供のころから僕にとってフェラーリはレースと同義語だった。だからこそ、スクーデリアがF1から撤退せざるをえなくなったとしても、コースを走る真紅のマシンが賞賛を受けることができる他の競技があると、僕は確信している」
