アイルトン・セナの父親、ミルトン・ダ・シルヴァは、F1で走る息子のレースに常に帯同していた。最後の2シーズンは健康面の問題でそれは叶わなかったが……。

 ミルトンのサーキットでの居場所は、マクラーレンのホスピタリティブースではなく、ミナルディのそれだった。

「サーキットでちゃんとしたパスタが食べれるのはここだけだからな」

 そう言って彼は、ミナルディのホスピタリティでくつろぎ、息子にパスタをご馳走するため、シェフに作り方を聞いたりしていた。

 そのミルトンは当時、こんなことも言っていた。

「いつかアイルトンが引退する時が来たらね、私たちは決めているんだ。ラストシーズンはミナルディで走るって。それは、アイルトンとも約束しているんだよ。ジャンカルロ・ミナルディにそれを伝えて、度肝を抜いてやるんだ。だってこんなにたくさんパスタをご馳走になっているんだから、せめて無償で1年走るくらいのお返しをしないとならないよ」

 ミルトンは冗談を言っていたわけではない。アイルトンもこの計画について、のどかな日にこの計画を語ってくれた。「フェラーリがどんなに驚くか、想像できるかい?」と付け加えて。

 アイルトンはフェラーリに加入することも決まりかけていた。90年代初頭のことだ。 

「(チェザーレ)フィオリオから来季について接触があったんだ。でも、それを望まない“誰か”がいて、契約を諦めなければならなかった。フェラーリ移籍が決まりかけていたと書いてくれて構わないよ」

 アイルトンのフェラーリ入りを望まなかったのは、もちろん当時フェラーリにいたアラン・プロストだ。プロストはフィオリオの動きを封じ、91年5月にはチームから追い出した。もしこの移籍話が成功していたら、アイルトンはフェラーリに加入していたはずだ。しかし、当時のフェラーリは史上稀に見る低迷期。移籍話が破たんしたことは、アイルトンにとってはある意味良い事だったのかもしれない。

 サーキットでのミルトンは決して目立つことはなく、離れた場所にじっと佇んでいるだけだった。しかし、彼はアイルトンにとってかけがえのない存在。特にプロストとの確執の際には、大きな心の支えとなっていた。

 1994年の5月にアイルトンが亡くなって以来、ミルトンはF1との関わりを一切断ってしまった。普段はサンパウロ市内で生活をしているが、F1サーカスがブラジルGPのためにサンパウロにやって来ると、彼は街を逃げ出し、ブラジル国内のあちこちに彼が所有するコーヒー農園にでも姿を隠してしまう。テレビもラジオもない広大な農園で、ひっそりと息を潜めてF1が去っていくのを待つのだ。

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