9月19日に決勝レースが予定されているIRLブリヂストン・インディジャパン300マイルに、クリック証券・コンクエスト・レーシングから出場する松浦孝亮がオートスポーツweb編集部を訪問。松浦にインディジャパン出場に向けて意気込み、出場までの経緯を聞いた。
Q:今回のインディジャパン出場はいつ頃から考えていたんですか?
松浦:去年も出たいと思っていたんですが、去年は4月にインディジャパンがあって、それに出るには年末くらいから話し始めないと厳しいんです。レースに出たいな……と思っていたのは前からずっと考えていたんですが、実際に「出てみようかな」と真剣に話し始めたのは4月からですね。去年は時間も足りなかったですし、1月や2月は他の交渉ごともたくさんあった。フォーミュラ・ニッポンをスタートさせる時に、その中で自分は何がやりたいんだろう? と考えて、定まらない感じがしたので、あまり真剣には考えませんでした。
Q:今年の出場はいつ頃決めたんですか?
松浦:今年の4月、鈴鹿のスーパーGTの時に、スーパーアグリのメンバーと晩ご飯を食べていたんです。その時、「ちょっとインディジャパンでも出てみようか」って話で盛り上がりまして(笑)。どうやって進めようか? と考えて、5月のインディ500の時に、HPD(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント)を通していくつか話をし始めて、6月にアイオワのレースに行って、いくつかのチームと話をしました。
Q:コンクエストと契約に至ったのは、どんなきっかけだったのですか?
松浦:キッカケは、すごく変なんです(笑)。アイオワに行った時に、5チームくらいと話をしたんです。その時に、HPDの人がメールを転送してくれて、「コンクエストも松浦と話をしたいらしい。もし時間があったら電話でもいいので話をしたい」と書いてあったんです。でも、正直会ったこともないし「めんどくせえな」って(笑)。知らない人と電話するのって日本人でもめんどくさいじゃないですか(笑)。それに、シリーズ通して出ていないチームとするのもイヤで。でも、せっかく話をくれたので電話一本くらいしなきゃな……と思っていて、アイオワの後シカゴに移動するのに5時間くらいあったので、「ヒマだから電話するか」って(笑)。
Q:最初はコンクエストの話に乗り気では無かった。
松浦:電話で話をしたら向こうはすごく熱心で、とりあえずその時は電話で済ませたんですが、その後2チームに候補を絞っていた状況でも、すごくいいタイミングで連絡が来るんですよ(笑)。条件を聞いて、じゃあチームの中身はどうなの? という話をしたら、エンジニアが去年ダレン・マニングのマシンを手がけていた人がやっていると。それでマニングに電話をして、「そのエンジニアどうだった?」と聞いてみたら、マニングは「すごく良かったよ」と。去年、もてぎでマニングは5番手くらいを走っていて、最後は燃料の戦略で8位でフィニッシュしたんですが、レース中は(武藤)英紀も抜いたし、良かったという話をしてくれたんです。それが僕の中で最後の決め手になりましたね。
Q:なるほど。それで契約に至ったんですね。
松浦:そうなんです。その時に、初めて電話で話をしていた人に会いました(笑)。そのエリック・バシェラールという人はチームオーナーなんですが、僕がフランスにいる時に所属していた、シグネチャの人と仲が良かったんです。それでシグネチャにも「バシェラールって人はどうなの?」と電話してみたら、「信頼できる人だから大丈夫」と言ってくれました。
Q:ちなみに、交渉していたチームは話していただけますか?
松浦:ビジョンと、HVMですね。最初はビジョンと話をしていたんですが、途中から話が噛みあわなくなってしまって。ちょうどその後にトニー・ジョージが解任されたりしていたので、その辺もあるのかもしれません。それとHVMと話していて、コンクエストはバックアップ程度に考えていたんですが、まさかそこに決まるとは思いませんでしたね。エンジニアリング面での体制が決め手になりました。
Q:縁もあったということですね。
松浦:そうなんです。占いにまで行ったんですから(笑)。でも僕にとってはすごく意味があるレースなので、すごく真剣に決めましたね。HPDが間に入ってくれたのも今回は大きかったです。
