⎯⎯話は変わりますが、2025年のWECハイパーカーであなたの僚友だったミック・シューマッハーがアルピーヌを離脱することを発表しました。それについてどのように感じていますか?
JG:今年、ミック(・シューマッハー)とフレデリック・マコウィッキと新たなチームメイトとなり、とても良いシーズンを過ごした。彼らとWECで2度ポディウムに立つことができたので、ミックの離脱については少し悲しく思う。2025年シーズンはとても素晴らしい経験を、数多く彼らとともにした。2024年と比べ、信じられないほどに飛躍した一年だった。
JG:ミックとマコ(マコウィッキ)とは、うわべだけで仲の良いチームメイトというかたちではなく、本当に強い友情で結ばれて楽しい時をともに過ごしたと感じている。しかし、ミックがシングルシーターに戻りたがっていたのは、僕はよく理解していたし、彼が2シーズンをアルピーヌで耐久レースを経験し、新しい挑戦をしたいと強く願っているのも知っていた。だから、彼の新しい挑戦に対して心から幸運を祈るばかりだ。
⎯⎯今年のWECイモラでシューマッハーにインタビューをした際、今までの彼のキャリアの中で『こんなにもチームメイトと打ち解けたことがない』と語っていました。ミックはあなたとマコをとても尊敬、尊重していると感じました。
JG:彼がそんなふうにインタビューで話してくれていたなんて、とても嬉しいよ! 2024年シーズンのアルピーヌでの彼はあまりハッピーには見えなかった。直接彼とは面識がなかったF3とF2、そしてF1時代から、彼のレースを追っていた。F3とF2の両方でシリーズチャンピオンの経験があるなんて本当にすごい。それを成し遂げるのがどれだけ難しいことか!
JG:WEC/ル・マンではドライバー3人で組んで挑むうえ、イエローフラッグがしょっちゅう出るのでなかなかドライバーひとりずつのポテンシャルを外から全部見ることは難しいけれど、チームメイトとして見る彼は本当に速くて素晴らしいドライバーで、彼のチームメイトになれたことは本当に光栄だった。
JG:アルピーヌに来るまではシングルシーター一筋でキャリアを築いてきたミックには、さまざまな観点から大変な苦労があったと思う。僕とマコはミックと争うためにここに居るのではなく、ともに勝つためにここに居るのだということを示せたと思う。耐久レースとDTMやF1との大きな違いであり、ミックには戸惑いも多かっただろう。
JG:シングルシーターをドライブしていると、ドライバーとして自分の経験から得た多くのヒミツを誰もが持ち合わせている。ドライブテクニックやさまざまなことをね。それはプロのレーシングドライバーならは通常決して誰かとシェアをし合うことはないし、自分が生み出したドライブテクニックは誰にも教えたくはない。しかし、僕たち36号車アルピーヌのトリオは違った。このメンバーならば、自分の得た最良のノウハウを全員で共有できると感じたんだ。
JG:それは誰からかが口にし始めたのではなく、自然にそうなっていった。ここでも3人のそれぞれの違ったキャリアや経験が役に立った部分で、互いのパフォーマンスをさらに向上させるためにそれぞれのヒミツを共有した。これこそがチームワークとしての素晴らしさだった。2024年のル・マンでは2台のアルピーヌは早々にリタイアをして大きく失望した。しかし、今年はそれよりもステップアップして35号車が9位、僕たち36号車が10位と大きな飛躍となる発展を遂げられた。来季2026年はトップ5圏内でフィニッシュすることを目標としている。少しずつ着実に大きな目標へ向けて頑張っていくつもりだ。
JG:マコとミックと3人で力を合わせて頑張れたおかげで、最終的には昨年のアルピーヌよりは随分と良い結果を出すことができたと思う。耐久レースではチームメイトの関係性や互いの理解や協力もよい成績を出せるようになる要素のひとつで、僕たち36号車アルピーヌにもそれはとても重要なことだった。
JG:ミックはシーズン初旬にはすっかり僕やマコと打ち解けて、プライベートでもロッククライミング、サイクリング、フィットネス、スカッシュなどに何度も一緒に行った。トレーニングも楽しめたよ。ミックとは本当に楽しく充実した日々を過ごしたので、彼が抜けて寂しい気持ちもあるが、これからは友人のひとりとして彼の夢を心から応援しようと決めているんだ。
■目標は、父が果たせなかった夢の実現
⎯⎯あなたとミック、マコウィッキはまったく違うキャリアで、性格も違いますね。でも3人はとても仲良しだということはレースウイークに見ていてもよく分かりました。
JG:そう、全員がバラバラでとても面白いラインアップだった。だからこそ、僕たちは良い関係性を一緒に築き上げられたのだと思っている。本当にこの3人は年齢も何もかもまったく違っていたけれど、そのバラバラの3人が一緒にいることでさらに素晴らしい力を生み出していたんだ。
JG:僕自身のキャリアを振り返ってみると、周りの輝かしいドライバーに比べてとても底辺からスタートしていたと思う。そんななかでも経験を積み、僕には憧れのような存在だったミックやマコとともにアルピーヌのマシンをシェアし、この3人でポディウムに立てたことはとても大きな意味があった。
JG:10年前、僕がフランスのポルシェ・カレラカップのスカラシップドライバーだった頃に、当時ポルシェのワークスドライバーだった先輩のマコと肩を組んで一緒に撮って貰った写真をいまも大切にしているのだが、いつかマコのようになりたいと自分の目標にしていたのを強く覚えている。そして10年後、僕たちはチームメイトになった。夢が本当に実現するなんて、10年前にはまったくこれっぽっちも想像していなかったのだから、世の中分からないものだね。今年僕はマコと10年前と同様に肩を組んで一緒に写真を撮って貰ったのだけど、とても感慨深かったよ。
JG:彼はフランスのポルシェ・カレラカップからFIA GT1やGT3を経て、僕の好きなスーパーGTで活躍し、ポルシェのワークスドライバーとしてGTやハイパーカーで活躍し、僕の目標とする先輩だった。彼は45歳ともう若くないが、いまもなお年齢を感じさせないとんでもないポテンシャルを発揮している。その陰には彼ならではの日々の努力も知っている。僕もミックもハイパーカーの経験は浅いので、マコからはさまざまな視点で多くのことを教えて貰っている。
⎯⎯フランスのブランド、フランス人ドライバーのあなたにとって、そしてフランスのファンにとって、ル・マンでの総合優勝は大きな夢であり、目標でしょう。そして、それは何よりもとても特別なことだと思います。あなたはそれに向けて、メルセデスAMGと話し合いをし、彼らはあなたの大きな夢をサポートしています。
JG:僕はそのことを考えるだけでもいま鳥肌が立つほどに、まさに最大の夢、最大の目標のためにレーシングドライバーとしての全力で取り組んでいる。だからこそ、アルピーヌへの加入を認めてくれたメルセデスAMGには心から感謝している。僕がこだわる強く壮大な夢のためには、AMGを放出されても仕方がなかったかも知れないのに……。
JG:もしフランス車でル・マンの表彰台の頂点に立ち、ピットレーンでフランスのファンの前でフランス国旗を空高く掲げることができたのならば、それは僕のとってもフランスにとっても歴史に残る瞬間になることだろう。その瞬間こそが僕の最大の夢だ。僕の父(ジャン-マーク・グーノン:ガルフ・チーム・ダビトフからマクラーレンF1 GTRで参戦)は1997年にル・マンで総合2位入賞を果たしたが、父の夢はそこで終わった。
JG:僕はいつか必ず父を超えてみせる、そして父の夢でもあるル・マンの総合優勝を勝ち取ってみせると心の中で誓い、表彰台の頂点に立つことを目標として掲げている。それを応援してくれているメルセデスAMGのためにもだ。
■EU非加盟国の小国に住む理由
⎯⎯最後にひとつあなたの住むアンドラ公国について教えてください。あなたもよく知るようにプロのレーシングドライバーの多くは、モナコをはじめスイスやオーストリアなどに節税の意味も込めて居住していますが、あなたはなぜアンドラ公国を選んだのですか? ヨーロッパ人にとっても、日本人にとっても“未知の国”であるアンドラ公国について教えてください。
JG:アンドラ公国はフランスとスペインの間にある人口が約7万7千人の小国で、EUには加盟していなが通貨はユーロだ。ピレネー山脈の麓にあり、僕の故郷フランス南東部のアルプス山脈地方を思い出させてくれる国で、自然豊かな素晴らしいこの国が僕は大好きだ。アスリートとしてアンドラを選んだのは、自転車をはじめとしたさまざまなトレーニングに適している点も大きい。他のドライバーが住む国を選ぶことも可能だったが、2019年にガールフレンドと一緒に休暇で訪れたアンドラ公国をすっかり気に入り、その3カ月後に移住をしてもう6年が経つ。
JG:ちなみに、僕がモナコに移住したとしても、いわゆるタックス・ヘイブンにはならない。フランスで税金を納めることになるため、フランス人にとってモナコ移住はステータスにこそなるかもしれないが、節税面では利点にならないんだ。
JG:僕のライセンスはアンドラ公国の自動車連盟が発行したもので、レーシングスーツにフランス国旗ではなくアンドラ公国の国旗が記されている場合もあるが、僕はフランス国籍をいまも所有しているフランス人。たまに国籍を変えたと勘違いされることがあるね(笑)
JG:アンドラ公国の公用語はスペイン語とカタルーニャ語とフランス語だ。僕は残念ながらカタルーニャ語を話すことはできないけれど、スペイン語とフランス語は話せるので生活には一切支障がないよ。



