チーム無限というホンダエンジン搭載チームで日本留学を過ごしたことは、彼に当初の想定以上の経験値をもたらすことになった。「日本語も、ちょっとうまくなったと思うよ」と言ってガスリーは笑う。「F1は僕の夢」と言い続けて戦ってきた21歳の青年の前途に、ホンダとともに大きな未来が拓けることを祈りたい。
そして今季から2台体制に復帰し、そこでいきなり欧州でも指折りの才能を有する若手を迎え入れたことは、チーム無限にとっても新鮮かつ貴重な経験となったようである。手塚長孝監督は終戦後、ホンダやレッドブルへの謝意も含めつつ「ピエールがここ(最終戦)に来てくれたこと、そして準備をしてくれたすべてのチームスタッフに感謝したいです。彼と一緒にここまで(チャンピオンを争って)こられたことを誇りに思います」と語った。
手塚監督はガスリーという才気あるドライバーと一緒に仕事をしていろいろ驚いたというが、いちばん凄いのはどこですか? という問いに対し、「ここ」と言いながら胸を叩いた。「ハートですよ」。
ドライタイヤ2スペック制のレースで周囲とは“逆”のスタートタイヤ選択をしたあたりには「まわりに流されない、自分の意志がありますよね。そこがまず凄い」と手塚監督は感じたそうだ。そしてマシンのセッティングに関しても、エンジニアとともに懸命に煮詰めたあと、最後は「予選も決勝も『あとは自分でなんとかしてくるよ』という感じなんですよね。若いのに落ち着いているし、なにか頭の中に引き出しがあるのかな。たとえば250kmのレースを頭の中でしっかり想像できているみたいでもあるんですよね」と手塚監督。
もちろんセットアップ自体についても真剣だ。「自分のためのノートと、星くん(星学文エンジニア)とやりとりするためのノートを用意していたみたいですよ。ピエールはセッション中、バネを何ポンドにして、みたいなことは言わない。症状を伝えて、それに対するエンジニアの提案を『やってみよう!』という感じで試すんですね。当然それがうまく機能しないような場合もあるわけですが、その時はすぐに無線で『バックして(元に戻して)』とか『逆に行ってみよう』と言ってくる」。少ない走行時間を効率的に使えるのは、歴代のチャンピオンたちにも共通する素養である。
そして前述の「なんとかしてくるよ」という部分について、手塚監督はあらためてこう感嘆する。「本来、当たり前の話ですが、ドライバーは速く走るために雇われて、ここ(サーキット)に来ているわけですよね。道具も大事だけど、そこに頼りすぎることなく、本質的にそこ(速さ)をしっかり出せるのがピエールというドライバーなんです。チーターみたいなイメージかな(笑)」。ガスリーは手塚監督やチーム無限のスタッフのみならず、日本のレースファンにも“当たり前のこと”を再度実感させてくれた存在であった。
「チームにとっての財産に? そうですね。(山本)尚貴も(速いチームメイトと組めて)良かったと言っていましたし、我々が来年以降に活かしていけるかどうかが大事になりますね」
F1という「目指す目標がそこにある」若手精鋭ならではの凄さを見たようでもある、との旨も語る手塚監督。ただ、最終戦の予選Q1最後のアタック、1コーナーでのコースアウト終了に関しては「今日は21歳(の若さ)が出ましたね(苦笑)」。この経験もまた、ガスリーをさらに大きくすることだろう。
ガスリーのランキング2位、そしてチーム無限のチーム部門2位という、ともにあと一歩の今季リザルトは、それぞれの前途に可能性という共通項をもつ若いドライバーと若いチームにとって、ある意味でとても良い結末だったのかもしれない。