1986年から2008年まで22年もの間、HRCの主に海外レース活動に従事した富樫ヨーコ氏。フリーライターとしても活躍し、HondaのGPマシン開発史や世界GPライダーたちの軌跡をテーマに、多数のノンフィクション作品を手掛けてきた。

 彼女が見続けた二輪レースの人物たちに迫るコラムをオートスポーツwebにて掲載。第1弾は、1993年にロードレース世界選手権250ccでチャンピオンを獲得した日本を代表するレーサー原田哲也氏に迫ります。彼女の目に映ったライダー原田哲也とは?

■250cc世界チャンピオン

「今年はチャンピオンを取れるとは思っていませんでした。来年はチャンピオンをめざしていきます」

 1993年9月26日。世界グランプリ最終戦スペインGP(ハラマ)。250ccレースでヤマハTZ250Mに乗る原田哲也は優勝し、グランプリ参戦一年目にしてチャンピオンを決めた。その直後の記者会見で新チャンピオンの原田はこう語ったのだ。

 最終戦前の時点で原田はランキング2位。首位のロリス・カピロッシ(ホンダ)には10ポイント差をつけられていた。このため原田は最終戦で優勝しても、カピロッシが3位以内に入ればタイトルを獲得することができないという厳しい状況に立たされていた。

 原田にとっては優勝するしかなかった。他のライダーの順位は関係なかった。

 中盤の数台によるトップ争いから抜け出した原田は、その後、独走態勢に入って優勝。ライバルのカピロッシはタイヤの選択を誤って5位に終わった。

「ゴールしてパルクフェルメに戻ってきたらチームの皆が大喜びしていたんでびっくりしました。その時初めてチャンピオンを取れたって分かったんです」と原田。

 93年には大勢の日本人ライダーが世界グランプリに参戦していたこともあり、たくさんの日本人ジャーナリストが取材に来ていた。特に最終戦は原田ともうひとり125ccクラスで坂田和人にチャンピオンがかかっていた(残念ながらこの年坂田はチャンピオンになれなかった)ので日本人関係者の数は半端ではなかったのだ。

 チームスタッフやガールフレンドの阿部美由希、友人やジャーナリスト達にもみくちゃにされながら原田は優勝できた喜びをかみしめていた。

 その後の記者会見で冒頭の「今年はチャンピオンを取りにいったわけではない」という発言が出たのである。

 記者会見後、私は何人もの外国人ジャーナリストに捕まって質問された。

「原田が今年はチャンピオンを取りに行ったわけではないと言っていたけど、一体どういうことなんだ。原田はチャンピオンを取れて喜んでいないのか?」

「そうじゃなくて、もちろん原田もチャンピオン獲得を喜んでいる。でも彼はとにかく今回のレースで勝ちたかったから、それが達成できて嬉しい、と言っているの。来年は最初からチャンピオンを狙うって」

 そう答えた私がどれぐらい原田の気持ちを代弁できたのかは分からない。それでも過去数年原田を見てきて、彼が目標を達成するために強い意志を持っているストイックな男であるということと、あくまでも目標は自分の力で奪取したものでないと気が済まない人間だということは分かっていた。

 シーズン開幕前、原田はフル参戦一年目の93年に関して、目標はランキング10位以内に入ることだと話していたのだ。

■鈴鹿同着優勝

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