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F1 | ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen) 2022年

ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen) 2022年

デンマーク / ハースF1チーム /

ゼッケンNo. :20

●国籍:デンマーク
●生年月日:1992年10月5日(29歳)
●身長/体重:173cm/68kg

2020年シーズン成績
●出走:17回
●優勝:0回
●表彰台:0回
●入賞:1回
●完走:11回
●PP:0回
●FL:0回
●ドライバーズランキング:20位/1ポイント

通算成績
●F1デビュー:2014年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:マクラーレン(2014~15年オーストラリアGP<決勝非出走>)→ルノー(16年)→ハース(2017年~20年、22年〜)
●出走:119回
●優勝:0回
●PP:0回
●FL:2回
●表彰台:1回
●入賞:35回
●ドライバーズ選手権最上位:9位(2018年/ハース)

■ケビン・マグヌッセン プロフィール

 父ヤンもレーシングドライバーで、21歳で英国F3のタイトルを獲得。その年にはマクラーレンでF1初走行に臨み、翌1995年に正式なテストドライバーとなった。この年マクラーレンのレギュラーだったミカ・ハッキネンが虫垂炎の緊急手術を受けたことで、第15戦となる日本開催のパシフィックGPで代役出場し、F1デビュー戦を10位完走。96年をもってマクラーレンとの契約を解かれると、翌97年にこの年からの新興スチュワート(レッドブルの起源となるチーム)入りし、デビューシーズンのフル参戦を託された実績がある。

 98年の途中でヤンはスチュワートを放出され、F1でのキャリアはそこで終えたが、スポーツカードライバーとしてはなお現役だ。

 そんなヤンの息子としてケビン・マグヌッセンは生まれ、当然のように幼少期からカートに親しんだ。地元デンマークでレースを始め、カートの国際舞台登場は13歳を迎える2005年。主要タイトルの獲得こそないが、いくつかの国際レースを制す。

 3年後の08年にフォーミュラ転向。1年目はデンマークのフォーミュラ・フォードを走り、11勝を挙げシリーズチャンピオンとなる。

 09年はフォーミュラ・ルノーで北ヨーロピアンカップ(NEC)とユーロカップにエントリー。ユーロカップは未勝利のシリーズ7位だったが、NECは1勝と12回の表彰台を記録して総合2位、ルーキーオブザイヤーを手にした。10年はドイツF3を主戦場とし、3勝でランキング3位となり、ここでもルーキーオブザイヤー獲得。ユーロF3にも2レースにスポット参戦した。

 この年には当時マクラーレンとメルセデスが共同で行なっていた、ヤングドライバープログラムにも加わる。父子2代のマクラーレンの契約ドライバーとなった。

 翌11年は英国F3で7勝したもののランキング2位に留まり、父と同じ同選手権の制覇はならず。国際レースの『マスターズF3』でも3位を得た他、『マカオGP』にも出走した。

 そして12年2月に、マクラーレンからはF1の初走行機会が与えられる。シーズン中にもシミュレータ作業を任されるなど、F1ドライバーとしての育成が本格化する。参戦カテゴリーとしてはフォーミュラ・ルノー3.5に進出し、1勝と3回の表彰台でランキング7位だった。なお、11月に行なわれたアブダビF1合同テストにも参加している。

 13年はマクラーレンでサードドライバーに昇格、シーズン中のテストも担当した。チームを移籍した2年目のフォーミュラ・ルノー3.5では5勝し、シリーズタイトルを獲得。11月にマクラーレンから、14年のレギュラー起用が発表された。

 父のなし得なかったマクラーレンのレギュラーとして臨んだ14年開幕、デビュー戦となったオーストラリアではいきなり予選4番手タイムをマーク。レースは3位でチェッカーフラッグを受ける。デビュー戦表彰台は、同じくマクラーレンの07年ルイス・ハミルトン以来。さらに2位フィニッシュだった当時レッドブルのダニエル・リカルドがこの年から導入のパワーユニット最大燃料流量規定違反で結果除外とされ、公式記録は2位に繰り上がりとなる。

 まさしく華々しいF1デビューとなったが、その後はチームの開発が停滞。表彰台の再現はなく、翌15年にはフェルナンド・アロンソが移籍してくることで、ドライバーズランキング11位で終えたマグヌッセンはふたたびサードドライバー契約に戻されてシートを失う。

 そのアロンソが開幕前の新車テストで大クラッシュ。ドクターストップがかかったことで15年開幕戦オーストラリアを代役出場として迎えることになるが、この年からF1復帰してマクラーレンと組んだホンダ・パワーユニットがレース前のレコネッサンスラップで白煙を噴き、スタートはかなわず。アロンソ復帰でこれがマクラーレンからの最後のエントリーとなり、10月にはチーム離脱が発表される。

 16年はワークスチームを復活させたルノーに在籍、組織再建中の状況下でクルマの競争力不足に苦しみ、入賞2回に留まる。

 翌年に向けたルノーからの残留オファーはあったが1年契約とされ、複数年を提示してきた17年が参戦2年目のハースに移籍を決めた。ハース1年目は獲得ポイントで先輩チームメイトのロマン・グロージャンを下回ったものの、入賞5回を果たす。

 18年はクルマの好調も手伝って入賞を11回に伸ばし、年間のドライバーズランキングでも自己ベストの9位を得て、14位グロージャンを下した。新たな複数年契約を手に入れた19年はチームが前年5位から9位にコンストラクターズランキングを下げるなか、グロージャンとの対決には2年連続で勝利している。

 ハースで4年目を迎えた2020年は第3戦ハンガリーGPでシーズン初入賞を果たすも、VF-20のパフォーマンスが低かったこともあり入賞はこの1回のみとなった。さらにチームの財政問題により2021年のシートを維持することは難しいと考えられており、実際に10月にはグロージャンと共に放出が決まった。これにより2021年は戦いの場をIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権に移し、インディカーにもスポット参戦。元F1ドライバーの父ヤンと共にル・マン24時間レースにも初挑戦した。

 2022年も引き続きIMSAに参戦し、さらにはWEC世界耐久選手権のハイパーカークラスでプジョーをドライブする予定だった。しかしハースがニキータ・マゼピンとの契約を打ち切ったため、その後任としてハースと複数年契約を締結して再びF1に参戦することが決まった。

公式サイト:
https://kevinmagnussen.com/
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