ドイツ / アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワン・チーム /
ゼッケンNo. :5
●国籍:ドイツ
●生年月日:1987年7月3日(33歳)
●身長/体重:175㎝/62㎏
2020年成績
●出走:17回
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:1回(獲得率:5.8%)
●入賞:7回(入賞率:41.17%)
●完走:15回(完走率:88.2%)
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:3回(進出率:17.64%)
●Q2進出:16回(進出率:94.11%)
●FL:0回
●予選平均順位:12.23位
●決勝平均順位:10.4位
●ドライバーズランキング:13位/33ポイント
通算成績
●F1デビュー:2007年第7戦アメリカGP
●在籍チーム:BMWザウバー(2007年アメリカGP)→トロロッソ(07年ハンガリーGP~08年)→レッドブル(09~14年)→フェラーリ(15年~20年)
●出走:257回
●優勝:53回
●PP:57回
●FL:38回
●表彰台:121回
●入賞:202回
●通算獲得ポイント:3018点
●ドライバーズ選手権最上位:1位(2010~13年/レッドブル)
カートを始めたのは1995年。祖国ドイツの英雄ミハエル・シューマッハが、前年に初となるF1ドライバーズチャンピオンを獲得していた。
そのカートを走っていた時代、98年には早くもレッドブル・ジュニアチーム(=ドライバー育成プログラム)に名を連ねている。カートで数々のタイトル獲得を重ねたのち、2003年にフォーミュラレースに転向した。
手始めはドイツでフォーミュラ・BMWに参戦。1年目でランキング2位、2年目は20戦18勝という圧倒的な戦績でシリーズチャンピオン獲得を果たす。翌15年からF3ユーロシリーズに進出する。
このユーロF3はルイス・ハミルトンに圧倒的に支配されたシーズンであり未勝利に終わったものの、当時BMWがパートナーシップを結んでいたウイリアムズで9月に初のF1ドライブ機会を得る。その後、06年に向けてBMWはザウバーにパートナーを切り換え、「BMWザウバー」とワークスチーム化した。ベッテルは、そのテスト走行にも参加する。
06年はユーロF3で4勝を挙げる一方、当時のフォーミュラ・ルノー3.5にもスポット参戦して2勝。この年の8月、BMWザウバーはジャック・ビルヌーブの離脱でロバート・クビサがレギュラー昇格、サードドライバーの後任にベッテルは指名を受ける。レッドブル・ジュニアの契約下ではあったが、貸し出される形だった。第14戦を皮切りに最終戦までの5レース、FP1のドライブを担当する。
07年はフォーミュラ・ルノー3.5を主戦場としながら、BMWザウバーでの仕事も続行。クビサが第6戦カナダで大クラッシュを喫し、次戦インディアナポリスの出走にドクターストップがかかる。ベッテルは急きょ代役として、F1デビューを果たすことになった。
結果、レースを8位完走。19歳349日で、F1の史上最年少入賞記録(当時)を樹立する。クビサの復帰でBMWザウバーからの参戦はこの1戦限りだったものの、活躍にレッドブルが動いた。第11戦時点からトロロッソのレギュラーシートが与えられ、最高位4位でシーズンを終える。
そのトロロッソのシートは、翌08年も継続。そして、大雨に見舞われた第14戦イタリア、驚愕の事態は起きた。
当時、レッドブルとほぼ同一のシャシー設計だったとはいえ、セカンドチームに過ぎないトロロッソでベッテルはポールポジションを獲得。翌日のレースも制してしまうのだ。21歳72日のポール、同73日の優勝はいずれも史上最年少記録(優勝は当時)であった。
当然の如く、09年はレッドブルに昇格。第3戦中国でレッドブルに初優勝をもたらす。この年は4勝を挙げて、ドライバーズランキングの2位まで登り詰めた。
ここからはレッドブルとベッテルの時代だ。10年に5勝で最終戦の逆転のドライバーズチャンピオン初戴冠を果たすと、2年前にハミルトンがつくったばかりの史上最年少王座記録を23歳134日に更新。11年11勝、12年5勝、13年13勝で、ベッテルはチームとともにタイトルを4連覇した。
だが14年にF1新パワーユニット規定が導入されるとメルセデスが猛威を奮い、勢いは失われる。レッドブルはチームとして新加入ダニエル・リカルドが3勝を得るものの、王座陥落。ベッテルは未勝利に終わり、秋の鈴鹿で翌15年からのフェラーリ移籍が発表される。この15年は、F1のカーナンバー固定制元年。ベッテルは5を選んだ。
フェラーリも前年未勝利であったわけだが、第2戦マレーシアでベッテルは早くも移籍初勝利を遂げる。予選2位からのピット戦略を駆使した、逆転勝利だった。第10戦ハンガリーで2勝目。第13戦シンガポールでは自身2シーズンぶりとなるポールポジション獲得を果たすと、危なげないレース運びで3勝目を挙げた。メルセデス勢に続くドライバーズランキング3位でシーズンを終え、フェラーリとともに前年からのV字回復を果たす。
だが16年、期待が膨らむなかで臨んだシーズンは接触アクシデントも多く、またも未勝利に終わる。
17年はクルマの大幅な空力規定変更に、フェラーリがうまく対応した。開幕戦オーストラリアをベッテルは予選2位から勝利。第6戦までに3勝、その後しばらく勝利から遠ざかるが、第11戦ハンガリーで4勝目を挙げてドライバーズランキング首位でサマーブレークを迎える。
ところがこのサマーブレーク明けにメルセデスの反撃に遭い、残るシーズンは9戦で1勝に留まってハミルトンの後塵を拝した。
18年は開幕2連勝でチャンピオンシップの主導権を握ると、第10戦までに4勝を挙げて前年と同様、ハミルトンとの間で激しいつばぜり合いを演じる。ところが第11戦、母国ドイツで単独クラッシュによりレースを失うと、その後はドライバーエラーを連発して1勝の上乗せしかできず、ハミルトンに自身を上回る5冠目タイトルを許した。19年は新鋭シャルル・ルクレールがチームに加わり劣勢を強いられ、第15戦のシンガポールでようやくの1勝。なす術なく、ハミルトンに6冠目を献上した。
フェラーリで6年目のシーズンを迎えた2020年。チームとの契約は最終年となっており、契約延長に関しては様々な噂が流れていた。ところが、シーズン開幕を待たずにベッテルは2020年を最後にフェラーリを離れることが決定した。
2020年は『SF1000』のパフォーマンスが低く、加えてパワーユニットのパワー不足もあり、ベッテルは予選でQ3に進出できないことも多かった。そんななか第6戦スペインGPでは土壇場で1ストップ作戦を敢行し、ユーズドのソフトタイヤで新品のミディアムタイヤよりも長い距離を走り切って7位入賞を果たした。
去就に関しては、ベッテル自身が他のチームと交渉していることを明かしたが、なかには1年の休暇を勧める声もあった。だが9月にレーシングポイント(アストンマーティン)との複数年契約を発表し、2021年からはアストンマーティンのドライバーとしてF1キャリアを続けることが決まった。その後コロナ禍で急きょカレンダーに加わった第14戦トルコGPでは、最終ラップにミスを犯したチームメイトのシャルル・ルクレールをパスして3位に入賞。この年唯一の表彰台を獲得した。
公式URL:
http://www.sebastianvettel.de/index.php/en/