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F1 | ランス・ストロール(Lance Stroll) 2019年

ランス・ストロール(Lance Stroll) 2019年

カナダ / レーシングポイントF1チーム /

ゼッケンNo. :18

●国籍:カナダ
●生年月日:1998年10月29日(20歳)
●身長/体重:182㎝/70㎏

●出走:21回 
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:0回(獲得率:0%) 
●入賞:2回(入賞率:9.52%)
●完走:19回(完走率:90.47%) 
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:1回(進出率:4.76%) 
●Q2進出:6回(進出率:28.57%)
●FL:0回 
●予選平均順位:17.25位 
●決勝平均順位:13.84位

●F1デビュー:2017年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ウイリアムズ(2017年~)
●出走:41回 
●優勝:0回 
●PP:0回
●FL:0回 
●表彰台:1回 
●入賞:9回
●通算獲得ポイント:46点
●ドライバーズ選手権最上位:12位(2017年/ウイリアムズ)

■ランス・ストロール プロフィール

 父ローレンスはファッションブランドを主に、世界的超有名企業の株式を大量所有する資産家として知られる。

 カナダGPの開催地モントリオール出身。9歳のころから、地元ケベック州でカート競技に出始める。2010年まではカナダと米国を活動拠点とし、カートでいくつかのシリーズタイトル獲得があった。10年の6月にはフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA=若手ドライバー育成プログラム)に、11歳で異例の選抜を受ける。

 11年にはヨーロッパに移り、それまでのジュニアから『KF3』クラス参戦。国際舞台にも姿を現すようになり、13年にはトップカテゴリーの『KF』クラスで世界選手権6位の結果を残した。

 14年からのフォーミュラ転向を控え、まずは冬の間のトレーニング期間として、気候温暖な米フロリダ・ウインターシリーズで過ごす。ヨーロッパのレースシーズンが開幕すると、イタリアF4にエントリー。18戦で7勝を挙げてでシリーズチャンピオンとなる。

 次の冬は今度は南半球ニュージーランドに渡り、『トヨタ・レーシングシリーズ』で16戦4勝、ここでも王座に輝く。その後F3進出、15年のヨーロッパ選手権を走る。ランキングは5位に終わったが、最終戦ホッケンハイム開催のレース1で1勝を得た。年末の国際レース『マカオGP』では8位だった。なお、この年の11月にはFDAを離脱し、ウイリアムズとデベロップメント(開発)ドライバー契約を結んだ。

 16年は年の始めにデイドナ24時間レースに参戦し、総合5位の結果を残す。チームを移籍して臨んだ2年目のヨーロッパF3では30戦14勝とし、選手権タイトルを手に入れた。これでスーパーライセンスの発給基準を見たし、いよいよ父と共同でのF1デビューへ本格準備が始まる。

 父ローレンスが完全支援の計画は、金銭的にも破天荒。未経験とする世界各国の開催サーキットを、F1実車を使ってプライベートテストで回ろうというものだ。F1史上最高とも言われる資金量持ち込みに、ウイリアムズも全面協力した。ローレンスが借り切ったサーキットに既定に触れないよう2年型落ちのクルマを提供し、テストチームを専任で送り込んだ。メルセデスも専用でパワーユニットを供給した。

 11月にウイリアムズから17年レギュラードライバー起用が正式発表。なお、先のプライベートテスト行脚は17年のシーズン中にも続けられており、そのなかには9月に実施された鈴鹿も含まれている。

 そしてストロールはF1デビューの年に、自身の専属広報をつけて現れた。これもまた、新人ドライバーとしては異例でしかない。

 ただ開幕当初はなかなか結果を残せず、初入賞は第7戦の母国カナダ9位となる。そして次戦のアゼルバイジャン、毎年のように荒れる市街地レースで予選8位から混乱をくぐり抜けて終盤戦には2番手まで浮上。チェッカーフラッグ目前のホームストレートでメルセデスのバルテリ・ボッタスからオーバーテイクを受けたものの、3位でデビュー8戦目の初表彰台を手にした。18歳239日でのF1表彰台は、前年に優勝でマークしたマックス・フェルスタッペンにわずか11日およばない年少2位の記録となる。また、この年にメルセデス、フェラーリ、レッドブル以外のドライバーが乗った唯一の表彰台でもあった。

 だが、これで劇的にドライビングのスキルがアップしたということではなく、その後は13戦で5回の入賞で年間ランキングも12位に留まる。

 翌18年はF1開幕前にデイトナ24時間2度目の出走、総合15位で終えた。この年のウイリアムズは当初からシャシー設計に欠陥が言われており、各部門の責任者たちが続々更迭となる異常事態に見舞われていた。サマーブレークを迎える前の12戦で、わずか8位1回の入賞だった。

 そんななか、サマーブレークの期間中に父も名を連ねるコンソーシアム(企業家グループ)が破産手続きに入ったフォースインディアを買収。前オーナーの一族のみ排除して体制を維持しつつ、レーシングポイントを新チームとして発足させた。

 シーズン中に正式発表こそ行なわれることはなかったが、この時点で息子ランスの翌19年加入は既定路線とされる。事実シーズン最終戦後のアブダビ居残りテストには、ウイリアムズではなくレーシングポイントで参加。すぐに移籍決定の運びとなった。

 19年は最高位4位が1回あったが、年間の総獲得ポイントはチームメイトのセルジオ・ペレスの半分にも満たない数字で、ドライバーズランキングは20人中の15位。しかしながらチームとの契約期間は当初から明かされておらず、無風のなかで20年シートも確保済みだ。

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