F1の2026年シーズン最初のテストまで1カ月を切った。非公開ではあるが、来年2月を迎える前に早くも、まだ見ぬ新しいF1が走り出す。そしてその最新マシンは、車両サイズ、搭載するパワートレイン、オーバーテイクを可能にする最新デバイスなど、多くの点で2025年までの現行型とは異なる(主要変更点まとめはこちら)。車両製作に深く関わるテクニカル・レギュレーションが大幅に変更されるためだ。
『F1にジャイアントキリングはあり得ない』。しかし16年前、“ブラウンGPの変”としてそれは起こった。車両規定が前年から大きく変わった2009年、“形式上”デビュー1年目の新参ブラウンGPが初陣で優勝し、そのままワールドチャンピオンまで獲得してしまったのだ。奇しくも2026年はキャデラックという完全な新参チームと、キック・ザウバー改めアウディとして挑戦を開始するふたつの新チームがある。ブラウンGPの例が2026年にふたたび繰り返されることはあるだろうか……。
毎号1台のF1マシンを特集し、そのマシンが織り成すさまざまなエピソードを紹介する『GP Car Story』のVol.42では、F1の歴史を変えた1台、ブラウンBGP001を特集する。このページでは、現在発売中の『GP Car Story Vol.42 ブラウンBGP001』に掲載されたジェンソン・バトンのインタビューを特別公開。ホンダ第三期F1活動終了の発表から、ブラウンGPの立ち上げ、7戦6勝と無敵の強さを誇ったシーズン前半、そして悲願のワールドチャンピオン、まさに波瀾万丈を体現した1年を自ら振り返っている。
※本記事は2022年12月17日に配信した内容を再配信したものです。
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ジェンソン・バトンが手にした2009年のワールドチャンピオンの称号は、ジェットコースターを彷彿させる波乱万丈のシーズンを経て成し遂げられたものだった。F1ドライバーの並外れた精神力をもってしても、恐慌を抱きかねない激しいアップダウン。その最初の“落下”は、開幕まで4カ月弱というタイミングでバトンを襲った寝耳に水の、ホンダが2008年限りでF1から撤退するという通達であった。時期が時期だけに有力チームのシートはすでに埋まっていて、最悪の場合はチームメイトのルーベンス・バリチェロともども所属チームを失いかねない。妥協して弱小チームに移籍するか、さもなければ1年間の浪人生活を覚悟して他日を期すか……。
