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F1 ニュース

投稿日: 2019.01.29 12:00

“まるで違う世界にいた”シューマッハーに勝てなかったアーバイン。フェラーリF1時代のプレッシャーを語る

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F1 | “まるで違う世界にいた”シューマッハーに勝てなかったアーバイン。フェラーリF1時代のプレッシャーを語る

 その1999年はシューマッハーがイギリスGPで右足を骨折し、6レースを欠場した。これにより、アーバインはフェラーリで事実上のナンバー1ドライバーとなったが、マクラーレンのミカ・ハッキネンにわずか2ポイント及ばずタイトルを逃した。

1999年F1第8戦イギリスGPでクラッシュしたミハエル・シューマッハー
1999年F1第8戦イギリスGPでクラッシュしたミハエル・シューマッハー

「あの年の一番の問題は、ミハエルがアクシデントに遭った後すぐに、フェラーリが風洞からマシンを出したことだ」

「彼らは(1999年型の)マシンの開発をやめ、次の年のマシンを風洞でテストし始めた」

「これはフェラーリにとって理にかなったことだった。というのも、私がタイトルを獲得する可能性は低かったからだ」

「彼らは非常に明確な決断を下さなければならない。『アーバインは1999年にタイトルを獲得できてたのか?』と問われれば、私自身を含めた全員が『ノー』と答えただろう。あの年は、私たちのマシンよりもマクラーレンの方が1周あたり1秒速かったのだから」

「彼らは次の年にミハエルが戻ってくることをわかっていたし、ミハエルはスーパースターだ。だから、あの時の決断は完全に理にかなったことだった」


この記事は国内独占契約により 提供の情報をもとに作成しています

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