■ヒュルケンベルグがバス―ルのもとで成し遂げた輝かしい成功の記録
2000年代後半、F1に昇格する前のヒュルケンベルグは、その成功の大部分をバスールが率いるASM/ARTグランプリ・チームにおいて達成した。
ヒュルケンベルグは2005年ドイツ・フォーミュラBMWのタイトルを獲得、A1グランプリ2年目の2006-07シーズンにチーム・ドイツをチャンピオンへと導いた。2006年にドイツF3に参戦した後、2007年、彼はARTの前身ASM F3チームに加入し、ロマン・グロージャン、小林可夢偉、トム・ディルマンと組み、F3ユーロシリーズを戦った。
F3での2年目のシーズンとなる2007年には、チームメイトのグロージャンやミュッケのセバスチャン・ブエミとのタイトル争いには加われなかったものの、4勝を挙げてランキング3位を獲得、マスターズF3も制した。
2008年にはもはやヒュルケンベルグを止める者はいなかった。エドアルド・モルタラや、その年チームメイトだったルーキーのジュール・ビアンキらを抑えてヒュルケンベルグは圧倒的な強さでタイトルをもぎ取った。
2009年にはARTのGP2チームに昇格、シリーズの主導権を徐々に握っていった。ヒュルケンベルグは、チャンピオン候補と目されていたグロージャンがシーズン途中にネルソン・ピケJr.の後釜としてルノーF1チームに移籍するよりも前から、タイトル争いの先頭に立っていた。
ヒュルケンベルグはビタリー・ペトロフやルーカス・ディ・グラッシを抑え、2009年GP2タイトルを獲得した。ルーキーでGP2チャンピオンの座に就いたのは、これまでルイス・ハミルトンとヒュルケンベルグのふたりだけだ(ロズベルグがタイトルを獲得した2005年はGP2初シーズンであり、厳密には全ドライバーがルーキーとみなされるため、対象外とする)。