2010年のスーパー耐久シリーズに、土屋武士とともに“takuma-gp team KOMACHI”として参戦する青木拓磨が、土屋とともに編集部を訪問。国内レース復帰に至るまでの道程、そして未来への夢、挑戦し続ける理由を「もう一度僕は世界に行きたいんです」と熱く語ってくれた。

 3月1日、スーパー耐久への参戦を発表したばかりの拓磨は、土屋武士とともに黒いホンダのエンブレムが入ったジャケットを来て登場。レーシングドライバーとして、今のその心境を語り始めてくれた。

ふたりで異なるドライビングメソッド
 拓磨はすでにアジアン・クロスカントリーラリーなどにすでに出場しているが、その時にも使用している『グイドシンプレックス』という機構を使ってマシンをドライブするという。これは、元F1ドライバーの故クレイ・レガッツォーニがプロデュースした機構で、ステアリング上のボタンを使ってクラッチを操作、ステアリング背面にあるリングを前後でアクセルコントロール、ステアリングボスの横から生えるレバーを使ってブレーキを操作するもの。ステアリング上の機構はフットペダルとも連動しており、「アクセルペダルを踏むと、ステアリングのリングが勝手に動く。正直ジャマなんですけどね(笑)。でも、僕も普通の操作ができるんです(土屋)」というもの。

「GT-Rだったりポルシェにも付けられるシステムで、ちょっと強いトリプルクラッチのようなものも操作できます。ただ、そうは言っても市販車向けの製品なので、もっとレースをしていくことによって改良して、それをお客さんにフィードバックして、僕のように車椅子になってしまった人がハンドドライブでスポーツカーを使ってドリフトしたり、サーキットを走ったりできるようにやっていければと思います」と拓磨。

 マシンの候補は、拓磨の二輪時代同様ホンダ車ということは決定しているものの、シビックかインテグラか、というのはまだ決定していないという。「正直、こんなに経済が落ち込んでいる中でスポンサーもないし、お金もない。でも、ライセンスが出たことで、もうやるしかないと思って」と拓磨が言うように、今回、スーパー耐久参戦を決めたのは、拓磨が長年の努力によって、通常の国内ライセンスを取得できたことが大きなきっかけだという。

●二枚の手紙
 拓磨は1997年に世界選手権ロードレースの500ccクラスで、レプソル・ホンダからグランプリ初年度を戦い、選手権5位を獲得する。しかし、翌年テスト中に転倒、脊髄損傷の負傷を負いバイクの世界から引退する。その後、拓磨はJAFに競技ライセンスを申請したところ『体に50%の障害がある人に対してはライセンスが発行できません』という旨の手紙が一枚届き、申請はあっさり却下されてしまう(拓磨はこの時の手紙をまだ持っているという)。

「それを受け取った瞬間に、僕は日本に怒りを感じたんです。50%の障害ってなんだよ!? って。基準も分からない」と拓磨。「ただ、JAFは僕がケガをしたり、何かあったら責任を問われてしまう。これは仕方ない。日本が悪い。『もう日本でレースはしない。じゃあ海外だ』って(笑)。安易な考えですけどね(笑)」

 その後拓磨は二輪で監督を務めたりと後進の指導にあたるが、ツインリンクもてぎで、CM撮影のために訪れていたレガッツォーニに会う機会に恵まれた。そこで拓磨は衝撃を受けたという。

「自分のレースに対する考え方は、レガッツォーニさんに会って話をしたときから変わったんです。彼からもらったインスピレーションというか、すごく自分の中でパワーをもらいましたね。『俺は今何をやってるんだ? こんなオヤジがダカールに出たりル・マンに出たりしているのに、なんで俺ができないんだ?』って」

「彼は今から30年以上も前にケガをして、母国に戻って免許を取ろうとしたら、免許すら取れなかったらしいんです。そこで彼はグイドシンプレックスを作って、役人の前で『走れるだろ?』って証明した。そこからダカールやル・マンに挑戦したのに、僕は紙切れ一枚でイヤになっているのが情けなかった。だったら僕は、レガッツォーニを越さなきゃいけない、と思った。そこから自分がやらなきゃいけないことを模索して、絶対にあきらめない、変えてやるんだという気持ちでレース活動を少しずつやってきたんです」

クロスカントリーへの挑戦、周囲の支え
 今回チームメイトとなる土屋武士をはじめ、親友たちはそれまでと変わらない態度で拓磨に接し、拓磨のレース参戦に向けて後押しをする。「まわりにいてくれた武士君もトラ(高木虎之介)も(脇阪)寿一もそうだし、本山(哲)も、仲間がケガをしてからも同じ対応をしてくれて、彼らは『お前はかわいそうだ』という目では見なかった。『やっていこうぜ』ってね。可能性として、まだコイツはやるんじゃないか、って期待してくれていたところもあった。復帰を願ってくれたファンもそうだし、まわりの人の助けもあったし、JAFの中でも動いてくれる人もいた。だからこそ実現できたことですからね。ホント、『ありがとう』しかないんです」

 2007年、ライセンス発給に関する規則がややゆるくなったタイミングで、拓磨はアジアクロスカントリーラリーに参戦を始める。また、その前年からスーパーGTとともに行われるHDX(ハンドドライブクロス)にも参戦を始めた。ダカールにも単身挑戦、ケガをしたりもしたが、アグレッシブに挑戦を続けた。ただ、拓磨のライセンスには“レース除外”という項目がついていたため、レースには参戦できず。HDXの他は、単走競技しか出場できないライセンスだ。

「クロスカントリーラリーはすごく面白い。チーム戦略も必要だし、クルマをいたわりながら速く走るのはすごく集中力がいるんですよ。今までに感じたことがないくらい。それにクロスカントリーは良いときもあれば悪いときもある。人生の縮図みたいでしたね」

 2009年シーズンには、1000ccカップなどのナンバー付きレースにも参戦(レース除外ライセンスでもナンバー付きは出場可能)。そこで拓磨は「やっぱりサーキットが面白いな、ということに気付いた。何度も周回して、詰めていく楽しさがある」とサーキットレースへの情熱を新たにした。

 そして迎えた2月22日、拓磨に再度1枚の手紙がJAFから届く。それは、拓磨の国内Cライセンスの限定解除を報せるものだった。これにより拓磨は国内レースの出場が可能になり、それまでも拓磨をサポートしてきた土屋武士とともにスーパー耐久に出場を決めたのだ。

挑戦し続ける理由
 拓磨は「(ケガをしたあと)まわりの連中の98%の人は(レース挑戦に)反対しましたけどね。カミさんにも反対されましたし。でも、それは自分の意志ですから、まわりを説得することから始めた。やりたいからやるんです。何よりも自分で決める。誰に決められるワケじゃない」と挑戦する“理由”を語る。

「誰もが年をとって、目が見えなくなってきたり、歩きづらくなり、車椅子にも乗るようになる。でも、みんなが経験していないことを僕はちょっと先に経験している。だから、みんなが年を取ったときにこうした方がいいよ、いい世界が作れるよ、というのを、僕はモータースポーツを使って発信したいんです。僕が得意分野として最大限に発揮できるのは、バイクやクルマを走らせたりすることなんです。自己表現できるのはそこしかない。元気のないヤツらに、『拓磨のヤローがんばってるな』って言わせたい。そこがみんな分かってくれると嬉しいし、レガッツォーニから受け取ったのもそこですね」

 まだスポンサーも決まっていない、マシンも決まっていない状況ながら、拓磨と土屋武士は今年の目標は「当然勝つ」と鼻息が荒い。「勝負できるってことは幸せなこと。車椅子の人たちにも『俺たちの後ついてこいよ」って掘り起こしになればいいですよね。僕自身も(Fニッポン引退後に)面白いもの見つけて良かったです」と土屋。「まずは拓磨を表彰台のてっぺんに連れて行くのが俺の役目」と土屋が語れば、「は? 何よ連れて行くって。おかしいだろ。俺が連れてくんだよ(笑)」と拓磨も返す。

 4年前にふたりが飲みながら話したことが原点となっている今回の挑戦は、今年はスーパー耐久に参戦、来年はスーパーGT、3年目はニュルブルクリンク24時間、そして4年目にはル・マン24時間で表彰台の頂点を目指すという。

「もう一度僕は世界に行きたいんです。だから、クロスカントリーも、いきなりダカールに行ったりした(笑)。僕が車椅子でレースをすることで、車椅子の人たちにもパッションを起こしたい」と熱く語る拓磨。「最近ツイッターを始めたんですけど、『なんだ佐藤琢磨じゃないのか』って(苦笑)」と笑うが、新たにニッポンで壮大な挑戦を始めた拓磨、そして土屋武士のふたりに大いに注目したいところだ。

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