勝者セバスチャン・ベッテルは、ゴールの後の無線で「ありがとう、ジュール。この勝利は君のものだよ」と伝えた。フランス語を使ったのは、きっと、ビアンキの家族や友人たち、フランスのファンに直接その思いを伝えたかったからだ。
2位ダニール・クビアトも、3位ダニエル・リカルドも、トロフィーを受け取ると空を指差し、それがビアンキのものであることを示した。
ジュールに捧げる──ドライバー全員が、そう誓って戦ったハンガリーGP。それぞれが、ふさわしいかたちを考えた。
「ジュールは僕らの心のなかに」イタリア語で、こう記されたマシンを駆るベッテルにとってはスクーデリアとして、勝利を捧げることが基本だった。
「この1週間はエモーショナルな意味で、とてもタフだった。(葬儀が行われた)火曜日はもちろん、スタートの前にはグリッド上で再びジュールのことを思い、その後いつものリズムを取り戻すのは、とても難しかった」
技術的な意味でもトラブル続きの金曜日のあと、リカバーするのは簡単なことではなかった。土曜日には納得のいくバランスを見出したものの、すべてがクリアになったわけではない。ロングランのペースはレースが始まるまでわからなかった。
勝利への道がはっきりと見えたのは、スタートの瞬間──3番手グリッドから一気にメルセデスの2台を抜き去ると、僚友キミ・ライコネンが続いた。
「キミは僕より1列後方からスタートしたんだから、最初のふたつのコーナーでメルセデスを抜いてくるなんて、とんでもなく素晴らしい仕事をしたんだと思う」
そしてフェラーリの2台は、スタートで前に出ただけでなく、3番手ニコ・ロズベルグとの間隔を広げていった。ロングランのペースも快調だった。
「無線でキミのトラブルを知らされたときは本当に残念だった。MGU-Kを失うと大きくパワーを失ったうえで、システム全体にいろんな誤作動が起こりはじめるから、キミはリタイアするしかなかったんだ。今日はフェラーリにとって素晴らしい日になったけど、ワンツーを飾れたら、もっと素晴らしかったのに」
ライコネンのリタイアは、セーフティカーが明けるとロズベルグの攻撃が始まることも意味していた。幸いなことに、ニコが最終スティントに選んでいたのはベッテルと同じミディアムタイヤ。それに、きれいな空気を受けて走ればタイヤの管理もずっと容易になる。メルセデスをDRS圏内まで近寄らせないコントロールでベッテルは首位を守り続けた。
マレーシアGP以来の期待は、表彰台を離れただけで批判に変わり、フェラーリの危機がささやかれた。ライコネンがあれこれ言われるのも、チームメイトとして決してうれしくはなかった。スクーデリアのこと、ビアンキのこと──きっと、たくさんの思いを胸に走ったハンガリーの週末だった。任務を完了し、解放されて饒舌になったベッテルは、自分のレースには99.8%満足しているけれど、ここではハンガリー伝統の磁器のトロフィーを楽しみにしていたのにと、0.2%の不満の理由を説明した。
ベッテルとは対照的に、レッドブルのふたりにとっては波乱のレースになった。スタート直後に大きなフラットスポットを作ってしまったクビアトは、厳しいバイブレーションに緊急ピットインも考えた。なんとかステイアウトしたものの、第2スティントで履いたミディアムでも完璧なバランスは叶わなかった。リズムをつかめたのは、第3スティントでソフトを履いてからのことだ。
「この週末ずっとダニエルのほうが速かったし、僕が前にいてもメルセデスのストレートスピードを考えると仕掛けることは難しかったと思う。だからダニエルが前に出て勝負したのは正解だった。最終的には、まわりで接触が起こって僕はここにいるけれど……スタート直後には、レースはもうおしまいだと思った。前半はフィーリングも良くなかった。でも、僕は今日、何が起こっても決してあきらめてはならないということを学んだ。“ネバー・ギブアップ”って言う人はいるけれど、それが何を意味するかはわかってないんじゃないかと思ってたし、僕自身も本当はどういう意味なのか今日まで知らなかった。すごく教訓になる1日だったよ。チームは厳しいシーズンを戦いながら、全員がハードワークを続けている。この結果は彼らにふさわしいものだし、僕は“いつかトップに返り咲く”という自分たちの思いを理解することができた」
振り返れば、昨年F1にデビューして以来、パワーユニットのトラブルやペナルティに苦労するばかりだった。頑張っても、しばしば結果はゼロになった。レッドブルに“昇格”してからも信頼性不足の悩みは消えず、走れていないのに「実はそんなに速くないんじゃ」と陰口を叩かれた。
初めての表彰台はラッキーに映っても、クビアトがアンラッキーで失ってきた結果は、それよりずっとずっと大きい。それでも迷うことなく、彼は言った。
「この結果は、誰よりもまずジュールと彼の家族のものだ」
「今日の僕は、すべてに心を注ぎ込んだ。重く、でも強いハートで戦い抜いた」
チームメイトを讃えながら、リカルドが言った。その気迫は、予選Q1をミディアムタイヤだけでクリアした勇気ある決断にもはっきりと表れていた。
「ジュールが望むのは、きっとこういうレースだと思ったから。僕の戦いかたを好まないライバルもいるかもしれない。でも、これが僕のやりかただ。それにジュールのやりかたでもある。彼が育ってきた段階で、僕は驚くようなレースクラフト、とても印象的な突っ込みを目にしていた。今日のコース上の動きはすべて……僕はインスパイアされて走っていたし、表彰台に上がれたことに感謝しているよ」
ルイス・ハミルトンは自らのミスを認めた。ロズベルグはリカルドを非難した。それでも、勝利を狙って攻めていったやりかたに「後悔はまったくない」とリカルドは言い切った。
リカルドだけでなく、多くのドライバーがいつもとは違う使命感を持って戦ったハンガリーGPは、ただ荒れているのではない、力強い印象を与えた。その印象を強調したのがフェルナンド・アロンソ──波乱の連続に見えたレースに、しっかりと芯を通した。
5位という結果には、レース中のさまざまな出来事が貢献した。しかし、あちこちで起こる接触から離れたところに身を置き、クリーンなレースを走りながらチャンスを見きわめ、瞬間瞬間に彼が下した的確な判断こそが5位入賞の最大の理由。それに何より、アロンソが「快適」と表現するマシンは決して簡単じゃない。「タイムが出るマシンと運転がしやすいマシンは必ずしも一致しない」と言う強者が、自らの技術と信念を沿わせることによって“マシンとタイヤにとって快適”な状況を創造しているのだ。だから彼が戦えると、レースはこんなに濃密になる。
ジュールに捧げるレース──ドライバーたちの本気は、ハンガリーGPの内容に表れた。シーズンベストのレースだったとファンが感じたなら、その気持ちはそのまま、ビアンキと彼の仲間たちへのリスペクトになる。