日本円にして1000円程度のバーレーンディナールを差し出すと、ガソリンスタンドの店員さんが「あなたのクルマに、そんな大量のガソリンは入らない」というふうなことを言って笑った。ペルシャ湾に浮かぶ小さな島国は、産油国である。首都マナマの北岸に並ぶ近代的なビルも、街に灯るふんだんなオレンジ色の明りも、それを示している。
でも、2004年に初めてこの国を訪れたとき、何より印象的なのは人々の温かさだった。ホテルは決して豪華ではなかったし駐車場もなかったが、バレーパーキング風にキーを預けるとクルマを運んでくれる(“風に"と書いたのは、一度、自分たちのクルマがホテルから離れた路上に停められているのを目撃したからだ)。ガソリンスタンドの場所を訊ねると、代わりに給油をしてきてくれる。レストランに忘れ物をしたと言えば、タクシーを呼ぶよりもホテルのクルマで送迎してくれる……というふうに、堅苦しいところがなく、臨機応変に親切なのだ。
国立博物館では、石油が発掘されるまでのこの国の歴史を知ることができる。サーキットの行き帰りに通過するロータリーの真ん中に、真珠のモニュメントが据えられている理由もそこで知った。紀元前からの長い歴史を持つこの地は、かつて真珠の産地だったのだ。思い出すと、真珠が小さな国の平和の象徴であったように思えてならない。
2011年“アラブの春"の流れがこの国まで到達したとき、民主化を望む人々が集まったのはこのロータリーを中心にした“真珠広場"だった。集会は基本的人権を要求する平和なものだったが、国家は治安部隊に隣国サウジの軍や傭兵を加えて、自分たちの国民を武器で攻撃した――直後、東日本大震災に襲われた私たちの国は、バーレーンという小さな国の民主化運動の、その後をほとんど知らない。
民主化運動は今も続いていて、国王を中心とするバーレーン政府による反体制派・人権活動家への弾圧、治安機関による逮捕・監禁・拷問もまた、続いている。
イスラム教国であっても、戒律による拘束が厳しくはない。飲酒が可能なレストランも多い。バーレーン島の南部にはアメリカ第五艦隊の司令部が置かれている――欧米に対して、開かれた国なのだ。それがかえって、この国の民主化運動を妨げている。
欧米諸国は、地勢的に中東の要となる位置にあるバーレーンと良好な関係を維持するため、民主化運動を“スンニ派の政府に対抗するシーア派住民"という宗教対立にすり替え伝えてきた。ペルシャ湾を挟んだ隣国はイランであるから、シーア派住民の反政府運動は“危険な国"イランに手引きされているというプロパガンダも容易だった。バーレーンの“アラブの春"は世界から忘れ去られ、平和なデモ活動は世界に知られることなく弾圧されている。
それに――バーレーンの人々はF1を敵視しているわけではないし、デモ隊はテロリストではないから、グランプリは安全だ。F1界も、人権問題から目を逸らす。問題が存在することを知ってしまったことを、忘れようとする。
第3戦バーレーンGP。コース上の注目は、5週間前に同じサーキットで行われたテストの結果とこの週末の走行の、共通点と相違点にある。テストから順調に走行を重ねてきたメルセデス勢にとって、データが豊富なこのコースはとても有利だ。ストップ&ゴーに近いコース特性も、メルセデスの力強さをさらに強調する。冬の間から評判の高かったウイリアムズは開幕2戦、雨の予選に若干、足をすくわれたような状態。しかしバーレーンでは雨は降らないし、ストレート速度を伸ばすとラップタイムにつながるマシン特性はこのコースに向いていて、チームは表彰台を目指す。
セパンでは雨の予選でメルセデスに迫ったレッドブルの場合、バーレーンテストではほとんど走行できていないハンデが大きい。RB10はコーナリング性能ではメルセデスをも凌ぐマシンだが、その特性を活かせる区間がバーレーンはセパンより少ない。そしてストレートでは、ルノーのパワー不足が影響する。
レッドブルだけでなく、トロロッソや小林可夢偉のケータハムにも共通して言えるのは、5週間前のテストと違うところを見せるためには、ルノーのアップデートが必須であること。パワーユニットは信頼性だけでなく、その“使い方"が改善されてはじめて、彼らが本来目標としていたスタートラインに並ぶ。
開幕2戦で信頼性を発揮したフェラーリの場合は、ある意味、ハード面の向上が必要なだけに大逆転が難しい。彼らのパワーユニットは、規定の最低重量よりかなり重い。ただし、セパンよりタイヤが1ランク軟らかいミディアム/ソフトになることは朗報で、ふたりのドライバーの技によってタイヤ作戦を有利に活かせる可能性がある。今のところはコーナー出口のトラクションが絶対的に足りないマシンだが、ライバルのリヤタイヤが滑り始めれば、そのハンデが小さくなる。
メルセデス勢の強さが予想されるバーレーンではあるけれど、彼らを基準として、フェラーリ勢、ルノー勢の位置を見ると、この5週間の進化が見える。連戦のためハード面ではマレーシアから大きな変化を望めないが、開幕2戦のデータを積んだチームがソフト面をどれだけ改良してきたか、頭脳を使った進化が楽しみなグランプリになる。