よく知っているようで、つかみきれないF1ドライバーの素顔。今回はフェルナンド・アロンソにフォーカスする。「当代最強」「マタドール」と言った紋切り型のキャッチフレーズだけでは表現できない、忍耐強く、気取らず、静謐な佇まい。強すぎるイメージゆえに、誤解されやすいチャンピオンの“顔”を今宮雅子氏が描き出す。
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自らのキャリアにおいて「いまが最も厳しい時期だとは感じない」とフェルナンド・アロンソが言ったのは、たしか、2008年から2009年のこと。
「カートで走っていた頃のほうが、ずっと厳しかった。毎レース、ここで結果を残せなければ、きっと『サッカーに戻りなさい』って言われると思って、不安を抱えていた。いまの僕は全力を尽くして戦うかぎり、F1で走り続けることができると思うから」
マクラーレンでの1年を経て、帰り着いた古巣ルノーには2005年と2006年にタイトルを獲得したときのような勢いは、もうなかった。それでも手にしたマシンから最大限の性能を引き出すべく、真摯に仕事を続けるアロンソの姿は印象的だった。グランプリの週末を迎えるたび、自分たちがこなすべき課題や他チームとの位置関係を説明する口調はいつも冷静で、戦闘力不足に対する不満めいた言葉を口にすることは一度もなかった。同時に、通常のコンディションでは望めない勝利でも、かすかなチャンスがあれば必ずその匂いを嗅ぎ取って、野性の動物のように静かに獲物を狙っていた。
「スタート直後の1コーナーで、ちょっとした接触があってポジションを上げられるといいね。その後はずっと1位のポジションに留まりたい」
こう言って笑ったのは、2008年の富士。予選を4位で終えた直後のことだった。冷たい路面でスタートしたレースでは、アロンソの期待どおりに上位のマシンが1コーナーをオーバーラン。序盤から荒れる展開を冷静に読み取っていたアロンソとロバート・クビカが首位を争い、アロンソが勝利した。ルイス・ハミルトンとフェリペ・マッサの“恵まれた”タイトル争いをよそに、非力なルノーやBMWを駆るアロンソとクビカが強者ぶりを発揮したレースだった。
日没の早い富士。暗闇に包まれたパドックでプレス対応に忙しいアロンソのもとに何度か足を運んだクビカは、親友の武勲を伝えるために辛抱強く待っていたスペインの記者たちの邪魔をしてはいけないと気を遣い、チーム関係者に「一段落したら電話をくれるように伝えておいて」と小声で伝えて、先にサーキットを後にした。カート時代以来のふたりの関係、ふたりが共有する人間性を控え目に、明確に表すシーンだった。
F1で何が嫌いかと訊ねたとき、クビカは「自分をひけらかすためにパドックにいる人間」と言った。アロンソにクビカとの友情を訊ねると「同じ価値観で話したり考えたりすることができる友達だから」と答えた。ちなみに、アロンソがF1でいちばん嫌なのは「移動」──でも、パスポートコントロールで興味津々の係官が彼のスタンプを事細かに眺めても、同行のスタッフがスーツケースの中身を念入りに調べられても、待っているアロンソが苛立つ様子は見たことがない。静かに佇んでいてもオーラは隠しようがないけれど……遠くからでも知り合いに気づき、先に「やあ」と手を上げるのは、必ずアロンソのほうだ。驕りも、有名人気取りも、一切ない。
発言が明確で表情にインパクトがあるからと言って、アロンソを“俺様”のように捉えるのは間違い。チームラジオで流れる彼の言葉を“気が短い”という前提で捉える評判にも、とても違和感がある。誰よりも自然な忍耐力を備えた人間だ。
「僕自身、ドライビングの能力はF1に来てからも、そんなに変わっていないと思う。ミナルディで走っていたときには同じように頑張っても18位で、誰も気にしていなかったけれど……」
このアロンソの言葉は正直で、F1ドライバーといえど、生まれつきの才能に左右される部分は経験で発達するものではない。ただし、トップチームのマシンに乗ってトップドライバーたちを相手に戦うようになると明確に映し出されたのは、彼が、他の誰よりも、自らのマシンの位置とまわりの状況を正確に把握しているという点だ。たぐいまれなドライビング能力、暴れるマシンをコントロールする器用さ。そして、異次元の空間認識能力──自らのマシンのノーズや四輪の位置、ライバルのマシンとの距離関係を正確に把握する能力がF1のなかでも桁外れに高い。“アロンソは完璧なドライバーだけれど、予選は特異なほど秀でているわけではない”という評もあるが、彼が必ず予選より順位を上げてくるのは、スタート直後、あるいはレース中の重要なシーンで、ライバル以上に正確に緻密に、位置関係を把握しているからだ。プラス、ライバルの心理を読んで駆け引きする勝負師の能力に長けている。
日本のF1ファンなら、2005年の鈴鹿、20周目の130Rでミハエル・シューマッハーのフェラーリをアウトからかわしたシーンを鮮明に覚えているはず──往年の名ドライバー、高橋晴邦さんは「テレビで見ていて、思わず『えー!』って叫んで、立ち上がったよ。だって、あそこはブレーキするところじゃないから」とおっしゃった。鈴鹿のファンも直後の1〜2コーナーでは全員が立ち上がって拍手を送った。
「それは良かった。みんなに楽しんでもらえて」と、アロンソは笑った。鈴鹿F1の歴史上、初めてのシーンだったと伝えると「まだ20周目だったから、僕自身はオーバーテイクに浸っていたわけじゃない。それよりも最後はトップでゴールすることを目指して、あとのことに集中していたから。でもレースが終わってから見ると、あれはたしかにベストオーバーテイクのひとつだったね」と言った。
当時のアロンソにとって、インテルラゴスで初めてのタイトルを獲得し、チャンピオンとして臨む最初のレースだった。でも、たとえタイトルがまだ決まっていなくとも、同じように挑んだかと訊ねると──「イエス」──確信は、あったと言う。のちにルノーが提供してくれたデータでは、130Rでアクセル全開(V10エンジン時代には容易なことではなかった)、左足が一瞬かすかにブレーキペダルを触っている様子がわかる。度胸を示すデータでもあった。
アロンソのキャリアには、彼自身がことさらに取り上げなくとも、レース好きが大切に語り継ぐ名シーンが散りばめられている。雨の予選を制してポールポジションを勝利につなげた2012年のホッケンハイム──第1〜第2スティントではセバスチャン・ベッテルを、第3スティントではジェンソン・バトンを1秒以内の間隔で抑えながら、彼は「ピットウォールやガレージのチームより、あるいはテレビの前のファンよりも、落ち着いていたと思う」と言った。
「気が気じゃないと思うけど、落ち着いて」──これはチームからドライバーではなく、ドライバーからチームに送られた“異例の”無線。フェラーリは音声データの記録をプリントアウトして勝者アロンソに贈った。
現役最強と評されるのは、機械の勝負であるF1において、誰もがアロンソのレースに「スポーツ選手の技」を見出せるからだ。緊迫したシーンにおいても、チームのメンバーは純粋なレース好きに戻ってレースを楽しむことができる。ただ──2014年のアロンソが、いくつもの接近戦を繰り広げたのは「タイトルがかかっていなければ冒せるリスク」に挑戦したから。シルバーストンの高速コプスでアウトからベッテルを抜きさったときには「タイトル争いをしていたら、ああいうふうに動くことはできなかった」と説明した。
「数ミリの違いでウイングが飛ぶかもしれない。タイヤが切れてバーストするかもしれない。タイトルがかかっていたら、一瞬でゼロに帰してしまうリスクを含んだ勝負には挑まないよ」
どんなポジションを走っていても、アロンソのレースは見ていて楽しい。彼のテクニックとレース勘がF1ファンを惹きつける。それでも、フェルナンド・アロンソの最大の強みは、タイトル争いの重圧がかかっても──あるいは、重圧がのしかかったからこそ──冴えわたる勝負師の技。ファンが求めるのは、オーバーテイクの瞬間だけでなく、週末を通して身体を締めつける、ほとんど痛みをともなう高揚。彼自身が渇望しているのは、シーズンの最初から最後までを覆い尽くす緊張と、逃げ出したくなるようなプレッシャー。
それが自分にとってのF1──郷愁にも似た気持ちで、アロンソはそんなシーズンを求め続ける。胃袋がせり上がってくるほど、つらい恍惚をファンは待ち焦がれる。ジョーカーは必要ない。1枚のエースがあれば勝負できるドライバーだと知っているから。