昨年のシンガポールGPでのルノーによる不正疑惑に対して、元F1ドライバーのエディ・アーバインは、F1は勝つためには何でもする“戦争”であるべきで、近年の“優等生的な戦い”には飽き飽きしていると語り、1台を勝たせるためにもう1台を捨て駒として使うことがあってもおかしくないという見解を示している。
一連の“シンガポール-ゲート”に関しては、特に、意図的なクラッシュによりドライバーのネルソン・ピケJr.だけでなく、コースオフィシャル、観客へ生命の危険性があったのではないかという点において、厳しい批判がされている。しかし、これに対してアーバインは、やや大げさに言われすぎていると反論する。
「(あのクラッシュで)誰かが命を落とす可能性は非常に小さいと思う」とアーバインはBBCに対してコメント。「あそこはスローコーナーだ。大きなアクシデントには正直、ならないはずだ。それに自分の意思でクラッシュさせるのだから好きなようにできる。この件をプロスポーツにおける驚くべき不正だ、と書かれているのを読んだが、それは的外れな見解だと思う」。
「F1はこれまで常に戦争だった。戦争では何事もフェアなんだ。自分が走っていた時は、どのチームも何でもした。他人を押し出したり、勝つためには何でもしていた。今、挙げた例は不正とはちょっと違うかもしれないが、過去のF1を振り返るとすべてのチームがルールを曲げたり、破ったり、ライバルを妨害したり、本当に何でもしてきた。
あの頃はそれがまったく普通だった。しかし、秩序を守るというのは、今まさにFIAが改革を行っている事項だ」
「マクラーレンはフェラーリの書類を手に入れて、1億ドル(およそ100億円)の罰金を科されたが、今回の件はどんな処分が適当なのだろうか? その流れからすると追放という考え方もあるが、これ以上チームを失いたくないF1としてはこれはあり得ないと考えている。
メーカーはカモのような存在だから、裁定には調整が入り、ルノーが去ってしまわない程度の罰金などの結論になるだろうと見ている。ルノーの影響を受ける数チームかはその動向を心配しているので、ルノーをF1から追放するような決定はされないはずだ。マクラーレンの場合は大げさな例だ」
今回の件だけでなく、アーバインは最近のF1に物足りなさを感じているとも語っている。
「新しいサーキットはみんなとてもきれいで、草のないペイントされた広いターマックのランオフエリアが用意されている。でも、エキサイティングじゃない。F1はいつでもスペクタクルだった。チームには同じマシンが2台あり、それを駆るふたりのドライバーが0.5秒離れていて、雨でも降ろうものなら、後にいるドライバーにとって大きなディスアドバンテージになる。F1には最初からこのような不公平さが備わっていて、それゆえF1は純粋なスポーツではありえないのだ」
「過去を振り返ると、デーモン・ヒルがタイトルを争っていた時は、チームメイトにさえ勝てばよかった。倒すべき他の選手はいなかった。ナイジェル・マンセルの時も同じだ。特に彼は従順なチームメイトには恵まれなかったから、なおさらその傾向があった。
ひとつのチームにふたりのドライバーがいる。そのうち、どちらかのドライバーが最大限の結果を得る——自分が走っていた頃は片方のドライバーを勝たせるために、可能な限りの手を尽していた」
「モーターレーシングの大物、コーリン・チャップマンやエンツォ・フェラーリも勝つために必死だった。常識の範囲内なんて発想はなかった。F1は純粋なスポーツではなく、他のどのスポーツよりも闘争的なもので、だからこそF1であり得るのだと考えている。
お行儀よくスロットカーのようにコースをぐるぐる回って速かった人が勝つというものではないと思う。F1はここ数年、マニュファクチャラーのために、秩序正しく、きれいにパッケージし直したけれども、見て楽しめるポイントはなくなった。なぜならとても退屈だから」
