元フェラーリ会長のルカ・ディ・モンテゼモロによれば、ジュール・ビアンキがキミ・ライコネンの後任としてフェラーリ入りすることは決定事項だったという。

 ビアンキは2014年F1日本GPの事故により、意識が戻らないまま9カ月の入院生活を送り、7月17日に亡くなった。初めてフェラーリをテストしたのは、ユーロF3選手権のチャンピオンとなった2009年シーズン末のこと。その後はGP2、フォーミュラ・ルノー3.5シリーズなどを戦いながら、2011年フェラーリ・テストドライバー、2012年フォース・インディア・リザーブドライバーを経て、2013年にマルシャからF1デビュー。コスワース・エンジンを失ったマルシャが、2014年からフェラーリのパワーユニットを搭載することになったのもビアンキとのつながりによるものだ。

 鈴鹿で事故に遭う3カ月前、ビアンキは2014年イギリスGPでクラッシュを喫したライコネンの代わりにシルバーストンF1テストに参加し、フェラーリをドライブしている。

 モンテゼモロはイタリアの新聞『ガゼッタ・デッロ・スポルト』に、ビアンキへの追悼文を寄せた。

「ジュール・ビアンキはフェラーリ・ファミリーの一部であり、ゆくゆくはレギュラードライバーとなることが約束されていた。ライコネンがチームを離脱するときが来たら、後任はビアンキと決まっていたんだ。鈴鹿の事故が、我々から速さと堅実さを持ち、技術的なフィードバックも申し分ないトップドライバーを奪ってしまった」

「まだティーンの面影を残した彼がマラネロに来たときのことを、いまでもよく覚えている。マルシャでF1デビューを飾るまで、すべてのステップをともに登ってきた。我々は彼の才能を見出し、面倒をみていた。フェラーリ・ドライバー・アカデミーの第1期生に選んだのも、そのひとつだ。彼はGP2で活躍し、フェラーリのF1マシンをテストしたときはチームに強い印象を残した。苦い運命が、我々から彼を奪い、大きな悲しみを残していった。この数カ月、勇気と尊厳によって困難な時間を過ごしてきたジュールの家族のことを強く思う。そして、フェラーリにいる彼の多くの友たちの悲しみを思う。我々は、得難い人間を失ってしまった。彼の記憶は大きな愛情とともに、永遠に失われることはない」

 ビアンキは事故の数日前、もしフェラーリからレギュラードライバーにと求められるなら「準備はできている」と宣言していた。

 ビアンキの葬儀は、21日に故郷のニースで行われる。

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