1971年11月に米国のレーシングドライバーのマイケル(マイク)・カイザーがポルシェのスポーツ部門にオーダーした911 2.5 S/Tは、1972年シーズン中に米国の複数のレースと世界耐久選手権に出場しました。ポルシェのワークスドライバーであり、同時にポルシェ スポーツ部門のスタッフだったユルゲン・バルトも、当時のドライバーの一人でした。彼は1977年ル・マン24時間の総合優勝者で、44年後の現在も当時のことをはっきりと覚えています。「マイク・カイザーは、私をセブリングに招いてくれました。私達は1972年の耐久選手権にフル参戦する計画を立てました。マイクは、シーズンを通して私達に同行する少人数のTVチームも雇っていました。」

マイケル・カイザーとユルゲン・バルト、シルバン・ギャランが72年ル・マンでドライブした911 2.5 S/T
マイケル・カイザーとユルゲン・バルト、シルバン・ギャランが72年ル・マンでドライブした911 2.5 S/T

1972年シーズンに、ユルゲン・バルトと911 2.5 S/Tは、マイク・カイザーとともに、フロリダのデイトナ6時間とセブリング12時間、その後、タルガ・フローリオとニュルブルクリンク1000kmにも出場。カイザーとバルトは、スイス出身のシルヴァン・ギャランとともに、最終的にシーズンハイライトのル・マン24時間に挑戦しています。ルイ・メザナリ・チームとして参戦した3人は、3リッター以下のGT車両のクラス優勝を飾っただけでなく見事に総合13位に入っています。
マイケル・カイザーとユルゲン・バルト、シルバン・ギャランが72年ル・マンでドライブした911 2.5 S/T
マイケル・カイザーとユルゲン・バルト、シルバン・ギャランが72年ル・マンでドライブした911 2.5 S/T

それから長年を経て、この車のレストアがポルシェ クラシックのスペシャリスト、特にボディワークに関しては真の挑戦となりました。車がワークショップに到着するとすぐに彼らは、911が後に“Gモデル”と呼ばれたものに改造されているだけでなく、事故による損傷が、プロフェッショナルとは言えないレベルで修理されていることに気付きました。センタートンネルとサイドレールの変形に加え、特にホイールハウスパネル、トンネル、さらにルーフに腐食による大きな損傷がありました。修理不能なまでに変形したルーフは、子供たちがかなり長期にわたって遊び場として活用していたことを物語っていました。ボディの修理は特に複雑で、フレアフェンダーの一部手作業による変更と復元も含まれていました。911 2.5 S/Tには新しいルーフと新しいタンクボトムが取り付けられました。

広範囲におよぶ金属加工が完了した後、911 2.5 S/Tのボディは陰極浸漬塗装(CDP)によってコーティングされ、生産車両に施される最高水準のテクノロジーによって長期防錆加工が施されました。腐食から完璧に保護するために、レストアされたボディをポルシェの現行市販車の工程に通されました。その後、細部の仕上げの後、元のライトイエロー(コード117)で塗装されました。

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