タイトルを争う6組のなかで、もてぎ戦を前に表彰台に登っていなかったのは65号車だけだった。ただし、全戦で入賞を果たしていたのも65号車だけだった。ここまでコンサバに徹していたことになるが、「最終戦は守るものがないから、行くしかない」と溝田監督。それがチーム初のタイヤ無交換作戦だった。
初めてのタイヤ無交換に、後半スティントを担当した蒲生は「一度もやったことがなかったので不安もあった」と胸中を明かした。しかし、その作戦は冒険ではなかった。溝田監督はブリヂストンに、事前に「無交換でいきたい」という思いを伝えていた。
ブリヂストンからは「土曜日の公式練習を見て決めましょう」と言われていたが、ウエットパッチが残るコースコンディションでは、それを判断することができなかった。それでも諦めず、決勝前のウォームアップ20分間で再度確認する。「左フロントはちょっと厳しいかもしれない」というのがブリヂストンからの答えだったが、黒澤のセーブドライビングがそれを可能にしたのだ。
シーズンをとおして2勝し、しかし2戦でノーポイントだった55号車の今季は、65号車の昨季の結果に似ていた。それを経験していた65号車は、ここまで表彰台が一度もなく目立つことはなかったが、最後の“攻め”でチャンピオンに輝いた。65号車はタイヤ無交換作戦でもてぎ戦を支配したが、それ以前からシーズンを支配し続けていたと言える。
蒲生がトップでチェッカーを受けると、チーム結成6年目の悲願達成に、サインガードにいた黒澤は泣き崩れた。いつも冷静な蒲生は、サーキットで涙を見せることはなかったが、「今晩ひとりになったら泣きますよ、たぶん」と笑顔を見せた。

