一方で山本は、レースが進み夕方が近づいて気温、路温が下がればヨコハマタイヤの優位性を崩すことができるのではないかとも考えていたようだが、今回のレースのスタート時刻は13時過ぎ、フィニッシュ予定は15時頃と大幅なコンディション変動は期待できないことも分かっていた。そこへ割り込んだのが2回のフルコースイエロー(FCY)だった。
もちろんFCYの可能性をぼくも予想してはいたが、宮田の勢いを見ればあくまでも一時しのぎにしかならないと思っていた。ところが山本は違った。「2回のFCYは幸運だった」と認めながら、FCY中のスロー走行のあいだに自分のタイヤの温度と内圧を下げることができたと言うのだ。1回目のFCYが終わった段階で山本はスパートし、宮田とのギャップを3秒弱にまで広げている。
しかし、宮田のペースは衰えず再び山本に迫っていった。この状況に山本は「また詰められたのでどうしようかなと思っていた」と言う。なんとも図太い話ではないか。すると2回目のFCYとなり、山本はまた一息ついて同じように自分のタイヤのコンディションを整え、FCY明けにスパートして間隔を3秒5へと開いた。
とはいえ、レースはまだ10周以上も残っていて、いよいよ土壇場である。宮田はまた山本との間隔を一気に縮め、残り10周となったところで猛然と襲いかかった。どう見ても絶体絶命の場面だった。しかし、山本はスレスレのライン取りで宮田を押さえ込んだ。
このとき山本が2度、3度と見せた絶妙なブロックには舌を巻かざるをえなかった。宮田には少々失礼な言い方になるが、じゃれかかってくる犬の鼻先をチョンと押さえて制するような、無駄のない動き、チャンピオンになった男だからこそできるワザだったと言うべきか。
だからといって、これをあと10周以上も続けるわけにはいかないことは山本も分かっていたはずで、彼はただひたすら宮田がタイヤを使い果たすのを待っていた、というよりも祈っていたはずだ。すると山本の願ったとおり宮田はタイヤを使い切って55周目にペースを落とし、とうとう山本は逃げ切ることに成功して勝負はついた。実際、レース後の宮田のタイヤは限界に達していたという。
■チャンピオンチームの壁
もし山本が初期のうちに宮田を前に出してしまったら、宮田はここまでタイヤを酷使しないで悠々と走りきって勝っていただろう。とても勝ち目のない状態でもあきらめず、あの手この手で宮田を押さえ込んだからこそ山本は宮田にタイヤを使わせ、結果的に突き放すことに成功したのだ。
機械的には優位にある相手を、人間がワザで押さえ込んで勝ったレースだった。技術が進んだ現代にあっても、まだ人間のパフォーマンスが機械のパフォーマンスを上回ることもあるのだな、近代レースの主役が機械だとはまだ言い切れないな、人間はスゲエなと、つくづく感じ入ったものだった。山本には、また良いものを見せてもらった。
明けた月曜日、坂東正敬監督(TGR TEAM WedsSport BANDOH)がSNSをとおし前日のレースについて「チャンピオンチームの壁」と表現しているのが目に入った。勝てるレースを落としたのだ、その胸中は計り知れないが、戦った相手を敬い、敗因を見事に言い表したことに感服した。
前半苦しいながらも国本に食らいついた牧野の頑張りや、到底勝ち目のない場面だったのにワザで首位を守りきった山本の強さを『壁』に感じたのだろう。ともに戦った挑戦者だからこそ得られた感覚。坂東監督は合わせて「横浜ゴムとともに逆襲や!」と言っていて次戦がますます楽しみになった。今回のレースは、本当に素晴らしいレースだった。
※この記事は本誌『auto sport』No.1557(2021年7月30日発売号)からの転載です。


